top of page

2025年1月12日 ネヘミヤ記1章

hccnichigo

 イスラエルの民の過去の罪を自分の罪として受け止める祈り

 

 他者のためにこれほどまでに自分のことのように祈るネヘミヤにとても感動させられます。自分の祈る心に反省させられるところを突かれた思いです。


 ネヘミヤは、ペルシャの王宮で献酌官という地位にあり何不自由ない生活を送っていたが、祖国の現状を聞いたとき、藁をもつかむ思いだったのです。それでも彼はすぐに行動を起こす前に、祈る行動を優先したのですね。そこから大いに学ばされます。私たちも厳しい問題に出くわした時に自分の考えで先走った行動をとります。そういうことは決して解決の糸口にはなりません。祈りの行動は、どのような行動にも勝るものです。


 ネヘミヤ記の内容は、ネヘミヤがユダヤ人でペルシャの国で王の献酌官、つまり毒見役という大変重要な立場にありました。彼は、ユダから来た数人の者たちからユダヤ人やエルサレムのことを聞いて、座って泣き、数日の間、断食して主に祈りました。そして、モーセが約束したみことばに基づいて、回復の約束を実現して下さいと祈りました献酌官の地位を捨ててエルサレムに戻り、城壁を再建するという大事業を成したことが述べられています。


 ネヘミヤは、イスラエルの人たちの罪の告白、自分の父の家が罪を犯したことを祈るところは、彼は主の将来の約束を堅く信じていたと解釈されています。8節のモーセに命じられたことを思い起こしてくださいと告げられています。


 「あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとえ、あながたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしは彼らをそこから集め、わたしの名を住まわせるためにわたしが選んだ場所に連れてくる。」―8節(抜粋)―



  愛する天の父なる神さま。今日のあなたの御言葉を心から感謝します。あなたの御言葉は今日もこれからもずっと生き続けています。この真実なる御言葉を勇気をもって語ることができますように用いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示

2025年3月17日 ヨブ記13章

『神が私を殺しても、私は神を待ち望む』  ヨブ記には、友人たちとの論争が3回も繰り返される。ほとんどの論争は神がヨブにバチを与えたのだという因果応報が友人たちの根拠ですが、最後に出てくるエリフだけが、少し違った角度からヨブに問いかけるのです。それはこれからのデボーションにお...

2025年3月16日 ヨブ記12章

ヨブ記12章は、友人の中の一人であるナアマ人ツォファルへの応答である。ヨブ記11章を読んでいて、ツォファルの語り方がまるで上から目線的な論じかたであったと思われます。さずがのヨブもひるまずに12章の3節で、「私にも、同じように良識がある。私はあなたがたに劣っていない。これく...

2025年3月15日 ヨブ記11章

11章はヨブの言葉に対しての友人ツォファルの応答だ。ツォファルら友人はあまりに悲惨なヨブの状態に声を上げて泣き、七日七夜地に座るだけでヨブにどんな言葉がけもすることができなかった。それほどまでにヨブの痛みに寄り添い、共に痛み悲しんでくれた。...

Comments


bottom of page