イスラエルの民の過去の罪を自分の罪として受け止める祈り
他者のためにこれほどまでに自分のことのように祈るネヘミヤにとても感動させられます。自分の祈る心に反省させられるところを突かれた思いです。
ネヘミヤは、ペルシャの王宮で献酌官という地位にあり何不自由ない生活を送っていたが、祖国の現状を聞いたとき、藁をもつかむ思いだったのです。それでも彼はすぐに行動を起こす前に、祈る行動を優先したのですね。そこから大いに学ばされます。私たちも厳しい問題に出くわした時に自分の考えで先走った行動をとります。そういうことは決して解決の糸口にはなりません。祈りの行動は、どのような行動にも勝るものです。
ネヘミヤ記の内容は、ネヘミヤがユダヤ人でペルシャの国で王の献酌官、つまり毒見役という大変重要な立場にありました。彼は、ユダから来た数人の者たちからユダヤ人やエルサレムのことを聞いて、座って泣き、数日の間、断食して主に祈りました。そして、モーセが約束したみことばに基づいて、回復の約束を実現して下さいと祈りました献酌官の地位を捨ててエルサレムに戻り、城壁を再建するという大事業を成したことが述べられています。
ネヘミヤは、イスラエルの人たちの罪の告白、自分の父の家が罪を犯したことを祈るところは、彼は主の将来の約束を堅く信じていたと解釈されています。8節のモーセに命じられたことを思い起こしてくださいと告げられています。
「あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとえ、あながたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしは彼らをそこから集め、わたしの名を住まわせるためにわたしが選んだ場所に連れてくる。」―8節(抜粋)―
愛する天の父なる神さま。今日のあなたの御言葉を心から感謝します。あなたの御言葉は今日もこれからもずっと生き続けています。この真実なる御言葉を勇気をもって語ることができますように用いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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