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2024年9月8日 列王記第二18章

hccnichigo

 18章を読んでいると、やっとまともな王が出てきてくれたと感動そのものである。それは、ユダの王ヒゼキヤである。父親は悪王であったあのアハズから立派な主の目にかなう王が誕生するなんてと思うところであるが、これもみな主の摂理の中であったのだと思わされます。ヒゼキヤの大胆なる宗教改革が記されています。


 ヒゼキヤ王は、25歳で王となり、エルサレムで29年間、王となった。彼は、すべて父祖であるダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。


 高き所を取り除き、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、モーセが作った青銅の蛇を砕いたのである。実にばっさ、ばっさと偽りのものを取り除く音、打ち砕く音が聞こえてくるようで、とてもいい気持ちにさせられます。


 彼はイスラエルの神、主に信頼し、主に堅くつき従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。主は彼とともにおられたので、彼がどこへ行っても成功を収めたのである。さらに、彼は、隣国イスラエルを崩壊させたアッシリアの王に反逆し、彼に仕えなかったのである。ヒゼキヤの全く揺るがされない信仰の現れだと思いました。


 このようなヒゼキヤ王の人は、彼の後にも前にも、ユダの王たちの中ではいなかったと聖書は語っています。


 しかし、ヒゼキヤ王の14年に危機がおとずれて、アッシリアがユダの町々を占領したのである。その時、ユダの王ヒゼキヤはアッシリア王に遣いを送って、彼らの要求通りの金額、銀三百タラントと金三十タラントを渡したのである。それで解決したのであるが、最後に使者として遣わせられた人々に浴びせられた酷い言葉がすごかったのである。だが、彼らはその言葉に沈黙をとおして帰途についたのである。なぜ沈黙を通してきたのかというと、すべてヒゼキヤ王の命令だったからである。主に信頼するヒゼキヤ王を見てきた民の心が、主によって彼への信頼へとつながっていったのではないかということが示されました。




 愛する天の父なる神さま。揺るがぬ神への信仰が試される時が多々にあります。私は、まだまだたくさん揺るがされる時があります。時には、謙遜になれないときがあります。高慢になる時もあります。そのような時には、どうぞ語ってください。義なる道へ導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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