「あなたは、エドムを打ち破って、心が高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、あえて災いを引き起こし、あなたもユダもともに倒れようとするのか。」(10)
ユダの王アマツヤは、エドムに勝利したことで高ぶってしまいました。何の理由もなく、イスラエルの王ヨアシュに戦いを挑んだのです。この御言葉は、その時のヨアシュのことばです。
危機の時には、神の前にへりくだり助けを求めるのですが、調子が良くなると途端に高ぶって神から離れていくというパターンが繰り返されるのが人類の歴史です。
一に謙遜、二に謙遜、三四がなくて、五に謙遜。とにかく謙遜であり続けることです。
しかし、高慢になるのが私たちの罪性です。バベルの塔が心の中にだんだんと高く積み上がっていくのです。
謙遜であるということは、高慢ではない状態である事ではなく、自分がいかに高慢であり、高慢になりやすい者であるかということを自覚しているということです。
謙遜という御霊の実を結ぶ者でありたいと心から願います。
天の父なる神さま
どうかどんなに祝福を受けても、高慢にならずに、謙遜であり続けることができますように。そのために、自分の中に高慢の塔が築き始められたときに、その自分に気づき、悔い改めることができますように、聖霊が私たちを助け導いてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
文:関真士
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