『バルナバとパウロ』
異邦人伝道を経験したパウロとバルナバ達は、福音はユダヤ人だけに語られたのではなく、異邦人にも与えられた恵みであることを確信していた、しかしユダヤ教からクリスチャンとなった者の中には、まだ律法の解釈とキリストの新しい戒めとがはっきりと把握していないリーダーたちも居たのです。私たちの中にも、主の福音は、神の一方的な恵みだと理解せずに、そうは言っても、自分の努力も必要だ、やはり奉仕をし、献金をし、教会に通い努力することで神の恵みを受ける資格(現代の律法)を得ると考えてしまうのと同じ考え方ではなかったと思うのです。
ユダヤ教の律法で育ち、割礼の重要性を何度も教えられていた者、しかも聖地エルサレムから訪ねてきたラバイ的なクリスチャンが、割礼を受けなければ救われないとアンティオケア教会で教え始めたので混乱が生じ始めました。どうやら、この当時はクリスチャンの拠点は、象徴的なエルサレムからかなり北方の実務的なアンティオキア教会に移っていたようです。
しかし、聖書はすでに預言していました。エレミア書9章26節抜粋「主のことば イスラエルの全家も心に割礼を受けていないからだ」申命記30章6節「あなたの神、主はあなたの心と、あなたの子孫の心に割礼を施し、あなたが心を尽くし、いのちを尽くして、あなたの神、主を愛し、そうしてあなたが生きるようにされる。」しかし、この心の割礼に関する預言とは裏腹に、使徒の働き15章5節「ところが、パリサイ派の者で信者になった人たちが立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきである。」と言った。それに対してバルナバとパウロが異邦人伝道の結果報告を説明して、異邦人信者の心を動揺させないために、代表として混乱しているアンティオキア教会に遣わされました。
さて、これほどまでに主に親しみ、皆に愛されていたバルナバとパウロの間に、意見の対立から亀裂が入ってしまいます。パウロが激情派とすれば、バルナバ(慰めの子)は温情派ではなかったのではと思います。やがてマルコの福音書を書くことになったマルコ、この時点ではきっと青二才で頭でっかちだったのか、前回の伝道旅行の苦難が続く中で、脱落して安全な実家に戻ってしまったのでしょう、バルナバは、このような、自分のいとこでもあるマルコを擁護します、そして彼の故郷であるキプロス島に向かい、パウロは、マルコは宣教の向かない人間として、代わりにシラスを連れて別行動を取ります。パウロは自分の故郷であるタルソだけでなく、シリアおよびキリキアを通り、諸教会を力づけた。とありますから、バルナバは温情に流され、パウロは厳しくも狭い道を選んだとも言えます。しかし、後世に名を残したのは、厳しい道を選んだパウロとなりました。
終わりに、この青二才だったマルコも、なんと霊的に成長をしたのです。コロサイ人の手紙4章10節では、パウロが私と共に囚人となっているアリスタルコと、バルナバのいとこであるマルコから宜しく」テモテ第二4章11節では、マルコを伴って一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」と書かれるまでになってゆくのです。主が霊の成長を助けることによって、マルコも役に立つ、主に命をかける信者となったのですね。
祈り
主によって霊的に生まれ変わった私たちですが、まだまだヨチヨチ歩き、成長をするために、みことば、聖書のみことばを栄養として育ってゆきますように、マルコのごとく、最初は弱々しくも、最後には勇敢な主の兵士となるまで、私達を見守り続けて下さることに感謝致します。 アーメン
文:森 宗孝
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