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2024年9月27日 使徒の働き12章

hccnichigo

『教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。』


 普通ならば囚人の右手が一人の監視人の左手に繋がれていたのだそうですが、牢獄にいたペテロが処刑される前の晩、彼は両側にいた監視人に両手を繋がれていたのです。そして戸口には多数の番兵が監視していました。そんな厳しい状況の中にいたペテロを、教会の熱心な祈りに主がお答えになってみ使いを送り、救出されたのです。


 15節にあるように、「こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」原文では、この二つの文の間に、「しかし」(But)という言葉が挿入されています。ペテロのその時の状況から考えて、教会の人たちにとって、彼を救い出すのは全く不可能な状況に見えたに違いありません。しかし、「どうせ祈っても無駄だろう」などとは思わないで、教会の人たちは熱心に祈り続けたのです。この熱心な祈りを主は聞かれたのです。彼らの祈りの熱さがわかります。


 しかし、その晩救出されて彼らのところに帰ってきてドアを激しく叩いているペテロのことを女中が、弟子たちに告げました。すると弟子たちは「あなたは気が狂っているのだ。」(15)といい、実際目の前にペテロを見た時も彼らは「非常に驚いた。」(16)とあります。これらのことから判断すると、彼らは状況の厳しさを知っていて、これはいくら熱心に祈ってもペテロは救出されないに違いない。主にペテロのことを救って欲しいと、完全に信じたいけれど、そうではない、やはり無理なお願いなのかなと思いつつ祈っていたのかなと、ついつい思わされます。


 私自身の勝手な解釈かも知れませんが、3節に記述されている剣で殺されたヨハネの兄弟ヤコブのことを思っていたのかも知れません。あの時もヤコブの救いを熱く祈ったに違いありません。しかし祈った願いの通りにはならなかったのかも知れません。


 いずれにせよ、ここを読む私たちには、彼らの祈りの内容/方法は分からなくても、彼らはペテロの救出を必死に願いつつ熱い祈りをしたのは確かなことです。そういう祈りに対して、神は、彼らの「願うところ、思うところの全てを超えて豊かに」(エペソ3:20)こたえてくださいました。祈りの答えは、祈る側の完全さにあるのではなく、主の憐みにあるということがわかります。ありがたいことです。


愛する天のお父様、あなたの聖名を賛美します。私たちの信仰は不完全なものであり、祈りもまた不完全なものです。それでも主よ、あなたは私たちが熱心に祈るとき、あなたはそれを聞き、私たちが求めるものを与えてくださることを感謝します。私たちの教会も世界の平和安全必要のため、祝福のため熱心に祈れますようにお導きください。アーメン


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