「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によるバプテスマを授けられる。」―16節(抜粋)―
「ですから、神が、私たちが主イエス・キリストを信じたときに私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが、神がなさることを妨げることができるでしょうか。」―17節―
11章は10章と関連していることが語られている。ペテロがエルサレムに上って来た時に、割礼を受けていない異邦人たちと食事をしたことを非難されたことについて、彼らに事の次第を順序立てて説明した。
ペテロが神からの幻を見て、「神がきよめたものを、きよくないと言ってはならない」と言われたこと、そして、百人隊長であったコルネルウスが、ペテロを招いて主イエス・キリストの救いについて語ってもらうようにと天使から告げられたこと、又、ペンテコステの日に使徒たちの上に聖霊が下ったのと同じように、異邦人であるコルネリウスたちの上にも聖霊が下って、彼らは異言を語って神を賛美したことが、繰り返し述べられています。そして、ペテロは17節の御言葉を語ったとき、人々はそれを聞いて沈黙したのである。
「それでは、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。―17節―
生まれたばかりのキリスト教会にとって、それほどまでに重要な意味を持つ出来事であったことがここに表われていると言われているそうです。
私たちクリスチャンの先駆者であられる方たちが、初めてのキリスト教会をたてあげるのにどれほど大変だったかがうかがわれます。そこまでできたのは、神が彼らの背後でお働きになっておられたからであります。私たちも自ら洗礼を授かったのではないです。背後に主なる神が働いておられたからです。私たちの神は、今もこれからもずっと私たちと共におられます。日々十字架を負い、主なる神に従っていけるものになっていくことです。
天の父なる神さま。御名をほめたたえます。主なる神は、私たちすべての者に平等です。どうぞ、互いが愛しあい、赦し合っていくことができますように。それがキリストの体である教会成長につながっていけるということを、一人一人が自覚していくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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