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2024年9月24日 使徒の働き9章

『サウロとアナニア』


 ここにパウロ(サウロ)の主イエスとの出会い、彼の改心が描かれていますが、かなり改心後の経過の省略があったようです。ダマスコに到着し、まだ目が見えなかったパウロに、主がアナニアを送られ、サウロの目から鱗が落ちた。ここは確かにそのように、パウロの身に起こった大事件であったのに間違いはありません。しかし、20節「ただちに諸会堂でイエスの事を宣べ伝え始めた」とあるのはかなり早急な気がします。


 むしろパウロ自身がガラテア人への手紙で語った経緯、すぐに会堂で福音を伝える前に、相当な時間をかけて主イエスへの信仰の成長があった事だと理解するのです。ガラテヤ書1章17節から2章1節までを読むと、イエス・キリストの啓示を受けてからパウロはまずアラビアに出て行ったとあります。それから3年後にエルサレムに上り、パウロ(ケファ)に会おうとしたがヤコブ以外の使徒とは会えなかった。さらにそれから14年後に今度は、バルナバとテトスと一緒に再びエルサレムに上ったとあります。彼の会心は主にあって一瞬でしたが、それからのパウロは時間をかけて熟考し、自分に与えられた異邦人伝道の事を、毎日のように聖書を読みつつ、反芻して成長してゆき、最後に会堂で福音を述べ伝えたと思うのです。大宣教者であるパウロも、私たちも主イエスを信じてからの心の成長には時間がかかるのですね。


 ユダヤ教の会堂で語るという事は、色々な質問を受けるという事でもあったはずです、旧約聖書の律法の教えと主イエスの新しい戒めをどのように説明すべきか、どのようにして旧約が成就されたのか、違いが何なのか、ユダヤ教の最高のラビでもあったパウロによって解き明かされてゆく真理は、否定しようにも、到底かなうことのできない主の真理が堂々と語られた事であろうと思うのです、その集大成がロマ書であり、数々の諸教会への手紙となって新約聖書に盛り込まれたのです。


 日本のことわざである目からウロコも、恐らくこの聖書の話から出てきたのではないかと思いますが、主はダマスコの信者アナニアをわざわざ使って、クリスチャンの迫害の大元であったサウロの所に遣わされたのです。自分達の友人の宣教師も二人ほど、幻を見て宣教師となった方がおられます。主は生きておられて、今も私たちを通じて働きを続けておられます。


祈り

 主の導きに感謝します。どうか人間の計画による伝道ではなく、主の導きによっての伝道に多くの実が結ばれますように。主の臨在に感謝致します。アーメン  文: 森 宗孝


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