「イエスによって与えれる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。」(16)
生まれつき歩けない男が、ペテロの祈りによって立ち上がり、踊り、神を賛美するようになりました。
民衆はこの出来事に驚いてペテロとヨハネのもとにやってきました。そこでペテロは「イスラエルの皆さん、どうしてこのことに驚いているのですか。どうして、私たちが自分の敬虔さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。」(12)と問いかけました。そして、この男性を癒したのは、十字架に架かったナザレのイエスなのだということを語ります。
そして男性が癒されたのは、「イエスによって与えられる信仰」のゆえだと言うのです。ここで信仰という事を考えさせられました。信仰とは、イエスによって与えられるものだということです。
信じる主体は、確かに「私」です。私の意志で信じることを選んだのです。ですからイエスは、たびたび「あなたの信仰が、あなたを救った」と言われました。しかし、その「あなたの信仰」とは、イエスから与えられた信仰をあなたが受け取ったあなたの信仰なのです。
自分で獲得した自分の信仰ではなく、イエスに与えられた自分の信仰です。
主は、私たちの人生の旅路を共に歩んでくださり、時にかなって必要な恵みをくださり、必要な信仰をくださいます。平凡な日常の時にも、人生の嵐の時にも、主は、必要な信仰を与えてくださいます。
だから、もっと強い信仰を持たなければと自分を追い詰める必要はないし、ましてや人の信仰と比べることなどありません。
今日の信仰も、明日の信仰も、信仰は主から与えられるのです。「イエスによって与えられた信仰」によって歩んでいきたいと思います。
天の父なる神さま
今日も、あなたが与えてくださった信仰によって歩めることを感謝します。ついつい自分の力で信仰を強くし、保とうと思いがちな者たちがですが、どうかあなたから与えられる信仰によって歩むことができるように、私たちを導いてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
文:関真士
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