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2024年9月17日 使徒の働き2章

『聖霊のバプテスマ』


 この聖霊降誕が起こったのは、エルサレム市内のどこだったのだろう。思うに周りには大勢の人達、エジプトからメソポタミア、ローマ人も居たということは、恐らくエルサレム神殿の外庭、異邦人の庭かソロモンの廊での出来事でありましょう。イザヤ書11章2節「その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、主を恐れる知識の霊である。」


 この場面で神殿に集まっていた人々の中には、主イエスの行った奇跡を目撃した者もいたことでしょう、復活のイエスに出会った者、癒しを実際に受けた者も居たかもしれません。しかし、神殿で祈っていても、主の十字架の理解はできていませんでした。聖霊は単に、浄めをするだけではありません。預言者イザヤによると、聖霊は知恵と悟りの霊で、まずは人の知性に働きかけます。そこで神のみこころを理解する悟り、心の鍵が与えられて、開かれて真理に導いて下さいます。ここで生まれて初めて、今まで奇跡を見て、いわば肉体の癒しを経験したり、聞いたりしていた者たちの心の癒し、本当の癒しが、聖霊によってなされたのです。旧約聖書で約束されていたメシアが主イエス・キリストであること、そして、やっと主イエスの十字架の意味が判った瞬間でした。この新発見によって人々は、喜びと希望が湧き出たのです。    ハレルーヤ!


 さて、よく議論となることは、ここに人々が異言を語り出した事をもって、聖霊を受けることは、イコール、異言を語る事と決めつけてしまう宗派もいるわけですが、自分の理解では、ここでは主イエスの福音の要となる十字架の理解を、地の果てまで広めるための第一歩がエルサレム神殿で始まる場面ですから、3千人もの各地から集まってきた人々が、いっぺんにバプテスマを受けるためには、彼らがしっかりと主イエスの十字架の意味を理解しなければならなかった。神は、人がバベルの塔を建て始めた時に、言葉を分けて、お互いが理解できなくなるようにされたのですから、ここでは使徒たちを使って、お互いが理解できるようにされたわざをなされたと思うのです。重要な点は、聖霊が下って、主のみことばを理解する悟りが与えられた事が一番大切な点ではないでしょうか。聖霊は一つであっても、それぞれの人に下って、外に現れる場合には、それぞれ異なる賜物となって現れるのです。確かに聖霊を受けて異言を話す方が今でもおられると思います。コリント第一12章にも、人はそれぞれ色々な賜物を持っている、全てが預言や癒しをするわけではない。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くのだろうか。という形で、パウロは問われています。異言を唱えても、それを解き明かす人がいなければ、仏教の念仏のように、内容がわからないのであれば意味がありません。


祈り

 どうか聖霊による導きで、心が癒され、清められ、力が与えられ、喜びに満ち、希望が湧き出て、みことばの理解ができる悟りが常に与えられますように、真理に導かれ続けますように、この希望に感謝致します。アーメン  

文:森 宗孝


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