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2024年9月15日 列王記第二25章

hccnichigo

 列王記第二の最後の章である。この最後の25章は南王国(ユダ王国)が滅亡し、ついにバビロンに捕囚となって連行されていくことが記されています。主に背き、偶像に仕えたために起こった悲惨な結末が語られています。主なる神は、ご自身によって創造された南王国の民の滅亡をどのような気持ちでごらんになられていたのでしょうか。そこのところから、ルカの19章41節で、イエス様がエルサレムに近づいて、都をご覧になって都のために泣かれたように、きっと父なる神も涙を流されたのではないかということが示されました。


 心が重くなるような列王記第二の25章である。でも、終わりのほうでは心に光がともされた感じになりました。27節でバビロンの王ネブカドネツアルの死後、彼の子エビル・メロダクが王になった時に、37年間捕囚であったエホヤキンを解放したことである。彼に優しいことばをかけ、いつも王の前で食事をし、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くしたのである。さらに彼の一生の間の生活費が保障されたのである。何という謙遜な王だろうかと感心させられました。


 列王記は、これによって一つの希望を私たちに告げていると言われています。それは、契約の民の将来を暗示するメッセージとしての意味を持つ。彼らは、ヨシヤ王の子孫としてのユダの王を持っている。もし彼らが、彼らを教えるために与えられた、王の歴史のこれらの教訓から学ぶなら、神は、なおかれらを用い、契約の民を再建される、という希望である。捕囚の民の間に生きた預言者は、そうしたメッセージを説いた。例えばエゼキエルは、エゼキエル書37:1-14で語っています。


「国は滅びたが、神は、それに新しい息吹きを与え、よみがえらされるであろう」

エゼキエル書37:1-14


「草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」

イザヤ書40:8


 天の父なる神様。列王記第二の多くの王たちの滅亡を通して語られたことは、真の神に立ち返ることでした。どうぞこの王たちの滅亡を通して、真の神に立ち返り続けることができますように導いてください。ときには、真の神をおろそかにしたり、又、立ち返ることをしないことが多々にある弱い私です。こんな弱い私でもあなたの御心に従って歩ませてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



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