列王記第二24章では、ユダの王国が最終的に滅び、バビロン捕囚が始まる様子が描かれています。
エホヤキムの時代、バビロン王ネブカドネツァルがエルサレムへ侵攻しました。3節「ユダを主の前から除くという主の命による…」とあるように、略奪隊に攻められ状況は非常に厳しいものでした。そして、エホヤキムの子エホヤキン王もまた主の目に悪を行い、神の裁きを避けることができませんでした。彼が王としてふさわしくない行いを続けたため、バビロンのネブカドネツァル王はエルサレムを包囲し、エホヤキンは降伏しました。彼と共に多くの貴族や指導者、技術者、戦士たちがバビロンに捕囚として連れて行かれ、ユダには貧しい人々だけが残されました。
この時、エホヤキンに代わり、ネブカドネツァルはゼデキヤを王として立てます。しかし、ゼデキヤもまた、主の目に悪を行うことをやめませんでした。神に従わない生き方を続けたため、最終的にはバビロンに対して反逆し、さらなる悲劇をユダにもたらすことになります。
「実に、エルサレムとユダが主の前から投げ捨てられるに至ったのは、主の怒りによることであったのである。その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。」20節
列王記を通して、国王の行動が国全体に大きな影響を与えるということです。国全体が一人のリーダーの選択に左右され、庶民がその結果として苦しむことがあります。現代でも、政治的リーダーの決定が戦争や対立を引き起こし、多くの人々が悲しみや痛みを経験することを思い出させられます。
今でもイスラエルの地域で続く紛争は、何世紀にもわたる宗教的、政治的な対立の結果ですが、神さまは歴史を通して示し続けておられるのでしょうか。もしすべての人々が神さまの愛と平和の教えに従い、隣人を愛することができれば、真の解決策がみつかり世界に平和が訪れるでしょう。
愛する天のお父さま
歴史を通して今もなお私たちに語りかけてくださっていることを感謝します。ユダの王たちがあなたに従わず、偶像に心を奪われた結果、彼らが受けた裁きの重さを思います。どうか、私たち一人ひとりが日々の生活の中であなたに忠実に従う者となれるよう導いてください。
今、この世界で起こっている争いや対立を見るとき、しばしば無力さを感じます。しかし、あなたの愛と平和に従うことで、小さくても確かな変化をもたらすことができることを信じています。どうか私たちに知恵と勇気を与え、愛を持って隣人に仕え、平和を広める者として用いてください。
どの時代でも、どの国でも、あなたの愛が人々の間に浸透し、平和と和解の実が結ばれますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
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