『ソロモンの神殿』
すべてのイスラエル民族の王となったソロモン王は、まず主のための神殿を7年かけて建築した記録がこの6章で、亡くなったダビデ王が用意しておいた金銀や資材を使っていたので、比較的早く出来上がったようだ。7節に神殿が建てられる工事の時に、石切り場で完全に仕上げられた石を積み木のようにしたのだろうか、いかなる鉄の道具の音も、神殿では聞こえなかったというから、静かに整然と神殿工事が進められていた様子がうががえる。
神殿建設中に主のことばがソロモンにあった。13節「わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」主が一緒に住んでくださる事は、私たちの最終的な目標ではないだろうか。それをソロモンに約束されている、しかし But、これには条件付きの主の約束である事も忘れてはならない。
12節抜粋「もし、あなたがわたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら」という主のことばが光っている。さてエゼキエル11章23節では、「主の栄光はその都の中心から上って、都の東にある山の上に止まった。」とありますから、ユダヤの民が、主の定めを忘れてしまって肉的に生きるようになった時、エルサレムが実際に陥落する5年前に、神の栄光はエルサレムの町から去って行くことになるのです。
主イエスの時代には、十戒を含めたモーセの律法は613あって、その律法を破らないようにと、まるで垣根のように作られた教え、口伝律法というが聖書と同じ権威を持っていたのです。私たちは、律法学者やパリサイ人をわざわいの者たちと考えてしまいますが、このソロモンに言い渡された、主のことばを読む限り、主の定めを行い、命令を守ることが重要であれば、自分もきっと律法学者のようになって、一生懸命、主の定めを守ろうと考えめぐらせたのではないかと思うのです。そのように父なる神の御心を理解せずに、掟だけを自分の力で守ろうとするユダヤの民に、愛なる神であるイエスが現れたのですね。愛の律法を自ら教えるために。
契約の箱を守るように、天使のケルビムが翼を広げて向かい合っていたようです、うる覚えですが、そのケルビムが向かい合って見つめていたのは、契約の箱の蓋、Mercy Seatに注がれるべき生贄の血の場所を見ていたと言われています。そこに主イエスの血が注がれ、すべての罪が赦される事になったのですね。
祈り
エルサレムやオリーブ山に、やがて主の栄光である主イエスが戻って来られる事に感謝致します。主と共に住む事に私たちの希望があることにも感謝します。アーメン
文: 森 宗孝
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