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2024年8月27日 列王記第二6章

『敵に塩を送る』


 日本にも敵の弱みにつけ込まないで、その逆境から救うということわざがあります。宿敵であった山国の武田信玄の領民が周りから塩止めという戦略で、苦境に立たされている事を知った上杉信玄が塩を送ったことからのことわざという。人間の身体の構造で、自分自身では造り出せない成分で、しかも生きるのに不可欠なのは塩だそうです。塩分が欠けると命に関わるのです。

 

 ローマに行く昔の道に塩の道というのがあって、その昔、中東で採れた塩の塊を運んで、兵士の給料として渡していた時代もあったそうです。主イエスも山上の垂訓の後に、あなたがたは地の塩ですとおっしゃてます。話が飛びましたが、この6章にはイスラエル王が、アラム王が送った大軍の兵士を私が撃ち殺しましょうかと預言者エリシャに尋ねたところ(21節)、エリシャは、彼らにパンと水を与え、食べたり飲んだりさせて主君のもとに行かせなさい。と命じ盛大なもてなしを敵の軍隊にしてあげたので、その後アラムの略奪隊は二度とイスラエルの地に侵入しなかった。とあります。まさに敵に塩を送る事が、ここでもあったのですね。聖書ではローマ書12章20節に、敵を食べさせ、飲ませよ、なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。敵に塩ではなく、頭上に炭火という変わった表現をしています。


 この章には、他にも当時の悲惨な飢餓が襲った状況も描かれています。思えば国連がイスラエルに土地を与える決議をして、今のイスラエル国家があるわけですが、その土地を決めるに当たって、当時は多くが、全く不毛の地であった場所、先住民が役に立たない土地を与えたと言います。 それをユダヤ人が干拓事業や治水によって農業地に変えたわけですが、そのような昔から、不毛な地であった場所に飢饉が起こると、飢餓の具合が極端で、生きるためには何でもするという状況を見る章でもあります。子供を食べるほどの飢えに襲われていたサマリア地区でした。イスラエル王は、この飢餓の原因は、預言者エリシャのせいだと思ったのでしょうか、エリシャの首をはねようと人を送りますが、エリシャは主に守られています。


祈り

敵に塩を送る、まさにそれが今のイスラエルに求められている事かもしれません。ガザで家族を失った強い恨みは、将来にわたっての死を決しての報復となって戻ってくるのではないでしょうか。しかし逆に自分の家族が人質に取られていたとしたら、何が何でも、救い出そうとする事も事実です。どうか解決の道のない、私たちの力ではなく、主による導きがありますように。 アーメン 

文:森 宗孝


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