top of page
hccnichigo

2024年8月24日 列王記第二3章

『生きている主イエス』


 先週、牧師先生が話して下さった内容は、へブル所12章:1抜粋、「一切の主にとまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」であった。


 まだイエス様を知らなかった頃、今後人生がどうなってしまうのか不安で押しつぶされそうだった時、ある女性に占ってもらったことがある。私からは一切話さないで彼女に話してもらおうと決めていた。私は何も言っていないのに、考えていることを読まれ、「なぜxxだと思うの?」と聞かれ、この人は本当にサイキックなのだと感心した。そして一時的な希望が与えられた。かなり昔のことである。


 これと同じように、第二列王記時代のイスラエルは本物の神に仕えていなかった。ヨラム王は父母が作ったバアルの石の柱は取り除いたものの心の中では、まだバアル信仰が続いていたようだ。心の中を重要視する神様である。

 その頃、軍隊には預言者が同行するのが一般的だったという。エリヤに仕えたエリシャが当時の預言者だった。


  14節抜粋、「エリシャは言った。私が仕えている万軍の主は生きておられます。」 この生きておられる主に出会った感動は今でも私は覚えている。ハワイでも涼しくいやむしろ寒い頃、友人宅で何かあたたかいものが私を包み、嬉しくて、涙がぼろぼろながれ止めることができなかった。イエス、この方が本物の神様だと確信した瞬間だった。この感動を一人でも多くの人に体験してほしい。今は心からそう願っている。


 だが、キリスト者となった今でも、この世に生きている限り罪や重荷がまとわりつくのである。それでも神様は私のすべてを知っていて下さる。そして私の罪を何度もゆるし、荷下ろしさせてくれる。私が知らなくても、神様は次に進むべき道を知っている。だから信頼して、一日ずつ導いてもらおうではありませんか。


 私の周りにはまだイエス様を知らない人たちがいる。悲しみがイエス様と出会うことで安らぐことをまだ知らない。のしかかる重荷が軽くなることをまだ知らない。


天の父なる神様、

 現在 重荷をかかえている人、身体に痛みや不安を覚えていらっしゃる人々に御子イエスの存在を知らせてあげて下さい。偶像ではない本物の生きている神の存在を 私に教えてくれたように、わかる形で知らせてあげて下さい。この弱きものをあなたの栄光のためにお使い下さい。あなたの癒しに感謝して、主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン


閲覧数:25回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年10月10日 使徒の働き25章

「もし私が悪いことをし、死に値する何かをしたのなら、私は死を免れようとは思いません。しかし、この人たちが訴えていることに何の根拠もないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカエサルに上訴します。」11節...

2024年10月9日 使徒の働き24章

「喜んで私自身のことを弁明いたします。」(10)  総督に前に召喚されたパウロは、ユダヤ人からの訴えに対して弁明します。この後、アグリッパ王の前でも「弁明」します。(26:1)  弁明とは、言い訳とは違います。訴えに対して事実、真実を語ることです。私たちも、信仰について弁明...

2024年10月8日 使徒の働き23章

『カイサリアでの捕囚』  主がパウロに語りかけた。11節「 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしの事を証ししたように、ローマでも証しをしなければならない 」と言われた。  パウロは色々な人の反対を押し切ってエルサレムにやって来た...

Commentaires


bottom of page