14章において、北イスラエル王国初代の王ヤロブアムと南ユダ王国初代の王レハブアムの治世が終わります。15章からは、歴代の王様列伝が始まります。
列王記は、北王国と南王国のそれぞれの王様が入り混じって描かれ、しかも同じ名前があったりするのでややこしくなりますが、整理して読むと戦国物語としても読み応えがあります。
特に15章の最後の節「彼は主の目の前に悪であることを行い、ヤロブアムの道に歩み、ヤロブアムがイスラエルに犯させた罪の道に歩んだ」(34)というフレーズが、北イスラエルの王たちに繰り返しつきまといます。北王国が滅んだのは、まさにヤロブアムの罪のゆえなのです。
ヤロブアムの罪とは、祭司をレビ人以外から任命した、祭りの日を変えた、そしてべテルとダンの二か所をエルサレムの神殿に代わる礼拝所として金の子牛を拝ませたことです。
ヤロブアムは10部族をまとめるくらいの手腕がありました。南ユダに対抗するために考え出した3つの宗教施策は、民がエルサレムへの長く危険な巡礼の旅をしなくても済むように、身近な所に2か所も礼拝所を設けたことで、民に喜ばれたのかもしれません。しかしこの策は、律法に反することで、しかも金の子牛を拝むことは、偶像礼拝の罪です。ですから”ヤロブアムの罪”と呼ばれるのです。
特筆すべきことは、バアルの偶像を一掃して北王国に大リバイバルをもたらしたエフーでさえ、このヤロブアムの罪を犯し続けたのです。なぜ?
それは、金の子牛の名前が「あなたをエジプトから連れ上った、あなたの神々」(12:28)、つまりヤーウェなる神の名を付けたからです。
これがバアルとかアシュタロテとか、偶像の名前だったら分かるのですが、真の神の名前が付けられたことで、それを偶像礼拝と認識できなかったのでしょう。
私たちは、聖霊の宮である教会を形成しています。その教会はイエスが建てようとしている教会でなければなりません。しかし、教会成長、神の栄光と言いながら、実は中身は金の子牛だということが無いわけではありません。聖なることばでカモフラージュしていますが、実態は金の子牛ということがあってはなりません。
金の子牛とは、私たちの心の奥底にある「恐れ」から生じる自己顕示欲であったり、承認欲求であったり、劣等感だったります。
私たちの心の奥底にある動機まで清めていただきたいと心から願います。
天の父なる神さま
北王国を滅亡に追いやったヤロブアムの罪、それは今も教会の中に入り込んできます。私たちは、自らの心の動機が探られます。どうか私たちの心を清めてください。カモフラージュした信仰ではなく、いつでもありのままの自分で主の御前にいることができますように。心の道筋をお守りください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
文:関真士
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