22章はダビデが主によってすべての敵、サウルの手から救われた日に主に歌ったもので、詩編18篇にも同じことが書かれています。
このダビデの賛歌を読んでいて、これだけの素晴らしい賛歌ができたのは、ダビデが苦難の道を通ってきて祈りそして信仰の深みにはいることができたからだと思います。見事な詩歌で、どちらの節を読んでいても彼の気持ちが主にむかって祈り、主こそ神であることを強く語っています。
「それゆえ、主よ。私は国々の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います。」―50節―
その賛歌を読んだときに、ダビデはすべての国々に主のことを伝えますと言っているダビデの気持ちがわかるような気がします。自分が苦難の時にいつもそばにいて救ってくださり、又、罪をおかした時にも悔い改めへと導いてくださった主のことをすべての国々に伝えたい、御名をほめ歌いたいということが心の底から湧き上がってきたのだと思います。私たちも、主が私たちになさったことを覚えて、多くの人々に主の御名をほめたたえる証し人になりたいものです。
ダビデはどんな時にも主を呼びもとめていた。たとえバテ・シェバとの大きな罪を犯した時にも大胆に隠すことなく罪の告白、悔い改めをしたのである。私たちにも語られるところではないでしょうか。主を畏れ、自分の罪の告白をして悔い改めをすることは勇気がいると思います。ダビデがそのようなことができたのは、試練の中からうまれた彼の強い信仰だったのではないでしょうか。
「主のほかに、だれが神でしょうか。私たちの神のほかに、だれが岩でしょうか。」
―32節―
「主は生きておられる。ほむべきかな、わが岩。あがむべきかな、わが救いの岩なる神。」―47節―
主のほかに神はいません。私たちの主は今も生きて私たちのためにはたらいて下さっています。アーメン。
愛する天の父なる神さま。あなたは私たちのただ唯一の神であり、今も生きて私たちのためにはたらいて下さっておられることに心から感謝します。私たちもあなたの御名をあがめることができる働きができますように用いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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