『ヨハネが書いた目的』
主に愛された使徒ヨハネが、晩年になって(著作時期を紀元90年頃だとすると彼は90歳近い)この時期はローマからのキリシタン迫害が激化し、使徒達はすでに殉教死していた。離散した信者達の中には希望を失い、ユダヤ人信者は迫害から逃れるためにユダヤ教に戻ろうとする者達もいたようだ。すでにマタイ、マルコ、ルカの福音書は書かれていたが、ヨハネは、この迫害の時代にあって、本当の希望を信者達に与えようとして、死力を絞ってこの書を書いたに違いない。
31節「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」
自分達キリシタンのこの世での命、ヨハネの命も風前のともしびの中で、希望の光、生ける水、よみがえりであり真理への道である主イエスがメシア、救い主である事を信じる事が、永遠の命につながると力強く語っておられます。
この20章は主が復活された日曜日の出来事、マグダラのマリアから主イエスの墓の石が取りのけられていると聞いて、走って墓に到着したペテロとヨハネたち。
9節「彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった。」
主イエスが私たち全ての人類の代表として、人類が犯している罪を、人類の審判として十字架の死にて贖われた事、そうして同時に私たちのために、罪が赦されただけにとどまらず、主イエスに在って、信じる者たちが栄光を着る為に復活されたのです。私たちが永遠の命を得るための復活でした。私たち現在の信者はどうでしょうか。主の復活の意味をまだ理解していないのではない、とここで問われているように思います。
もしも、復活の主イエスが作り話であったとしたなら、この頃のユダヤ人にとって、証人としては認められない女性達が最初の復活の証人であったというストーリーは書かなかったはずです、なぜならそれは信頼できるとはみなされない時代だったからです。事実であったので、女性達が初めの復活の証人となっているのです。
ユダヤ人達を恐れて、戸に鍵をかけて恐れている弟子達の真ん中に、突然現れた主イエス。さぞかしびっくりした事でしょう。その時に居合わせなかった、疑い深い弟子トマスのおかげで主イエスの復活がいかに弟子達の生き方に影響を与えたかが納得できる場面です。
29節「イエスは彼(トマス)に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。』」
ヨハネも伝えたかったのは、”信じて命を得る事”、イエスの”信じる人たちは幸い”
信じること、信じることと繰り返し私たちに語りかけています。
祈り
私たちは信じる事に始まり、主イエスを心に受け入れて、信じる事によって、主イエスのところに導かれて、永遠の命を得るのですね。信じるが全ての始まりで、終わりである事をヨハネが自分の生涯をかけて私たちに伝えたかった事に感謝致します。 アーメン
文: 森 宗孝
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