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2024年7月21日 ヨハネの福音書12章

「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」12:24


 この聖句は、キリストがご自身の十字架の死を一粒の麦の死にたとえて語られたところであります。キリストの死は、世界の多くの人々に永遠の生命を得させる豊かな実りをもたらすためでした。自分が死ぬことによって、人を生かすことこそ、神の栄光が現わされる方法でした。私たちが今、恵みの中に生かされているのは、キリストという一粒の麦の死によって起こったからであります。日々心に受け止めて、感謝すべきことであります。


 事実に基づいたあるドラマを観て感動させられました。ドラマは、ある村の少女のもとに幼い狼とライオンがやってきてこの三人が生活をともにやっていくという内容です。しかし、大きくなった狼とライオンはとらえられてサーカスの見世物にされたのでした。狼は囲いから逃げて檻の中にいるライオンを助けにいきます。鉄の檻の中にいるライオンを助けるのは簡単なことではありません。そこにライオンを調教する男が現れて檻のカギをあけるのを狼が見て彼に襲い掛かり、ライオンが見事に脱出しました。そして、二匹の動物たちは喜び勇んで山に逃げて行きました。だが、その喜びも束の間の出来事で、彼らを捕らえようとする山狩りが始まりました。少女は、狼とライオンを救いに行きました。ある川の所にきてそこから向こう岸まで渡ろうとしたときに、ライオンだけは頑固として少女の呼びかけに答えず、何度も彼女を振り返りながら山にもどっていったのです。そうです、ライオンは自分が山に残ればふたりの命が救われるということを知って犠牲になったのです。このドラマを観た時に、ライオンのとった行動がイエス様の「一粒の麦」の御言葉にかさなった思いにさせられました。


 ユダヤ人に対する最後の訴えでもあり、又、イエス様がご自分を一粒の麦にたとえて受難の意義を示されたとも言われています。この訴えは、今でも、まだ主を受け入れられない人々に語り告げなければならないことです。それが救われた私たちへの呼びかけではないでしょうか。



愛する天の父なる神さま。イエス様が、私たちのために一粒の麦として地に落ち死んでくださって感謝します。あなたのこの無償の愛が豊かな実を結び続けています。でも、まだまだこの無償の愛を知らない多くの人たちがいます。その人たちのために私たちが何をすべきかを示してください。どうぞ私たちがいただきましたそれぞれのたまものの使い道を示してください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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