top of page
hccnichigo

2024年6月5日 サムエル記第一21章

 前章において、サウル王のダビデ殺害の意志が明確となったことで、ここからダビデの逃避行が始まります。多勢に無勢、イスラエルの精鋭部隊に追われる身となりました。

 そこでダビデは、ガデの王アキシュのもとに身を隠します。このガデとはペリシテの地ですからイスラエルの敵になります。さすがにサウル王の追手も敵の地には入ってこれませんから、ダビデの生き延びるための策です。

 しかし、なんとペリシテ人の中にダビデの顔を覚えている者がいて、身分がばれそうになるわけです。その時ダビデは、気が狂ったふりをして難を逃れます。そしてダビデは、命からがらガデから逃れて荒野にあるアドラムという洞穴の中に身を隠すのです

(1サムエル22:1,2)。


 その時の事をダビデは詩にしました。それが詩篇34篇、56篇に収められています。珠玉のことばが語られていますが、その中から一つだけ、


「心に恐れを覚える日、私はあなたを信頼します。」(56:3)


 私も心に「恐れ」を持つことがあります。以前でしたら、その「恐れ」を持っている自分に悩み、その自分を責めます。主に信頼していたら恐れなどなくなるはずだ、と心から恐れを取り除こうと意識しました。

 しかし御言葉は、逆のことを言います。主に信頼したら恐れがなくなるのではなく、恐れを覚える日に、主に信頼するのだと。

 前者の考え方は、律法主義のリズムです。そして後者は、恵みのリズムです。


 真っ暗な洞穴の中で、「私と共に主をほめよ。一つになった御名をあがめよう。」(34:3)と、共にいた者たちを主への賛美に招きます。そして「主を仰ぎ見て 光を得よ」(34:5 口語訳)と、神の栄光の臨在へと招くのです。

 恐れがなくなったのではなく、恐れがあるからこそ主に信頼したのです。その結果、その真っ暗な洞穴は、賛美と栄光の臨在が満ち溢れたのです、

 恐れのあるままで、不安なままで、弱さを抱えたままで、そのままで主のもとに行くのです。その時、主が私たちに出会ってくださるのです。 


 天の父なる神さま

 真っ暗な洞穴の中で、そこには、恐れ、不安、恥が一杯ありましたが、あなたは、そこを賛美と栄光の臨在で満たしてくださいました。

 今も、私たちの人生の暗闇を、あなたは光に変えてくださいます。恐れのある日に、主に信頼する者たちでありますように。主を仰ぎ見る力を与えてください。

   主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

                               文:関真士


閲覧数:26回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年12月5日 歴代誌第二25章

「彼は主の目にかなうことを行ったが、全き心をもってではなかった。」―2節―  アマツヤも父ヨアシュと同様に、途中で主に従わなくなったことが記されています。主に全き心をもって最後まで従っていくことの厳しさ、むつかしさ、高慢さが問われるところではないでしょうか。...

2024年12月4日 歴代誌第二24章

「ヨアシュは、祭司エホヤダが生きている間は、主の目にかなうことを行った。」(2)  この章は、かなり気の滅入る内容だ。前章のように特別な器として神に守られて王になったヨアシュであった。彼は、壊れた神の神殿を建て直した。まさにリバイバルの器である。しかし、祭司エホヤダの死後、...

2024年12月3日 歴代誌第二23章

『幼きヨアシュ王』    神殿内で、密かに7年間も守られて育ったヨアシュ、きっと彼を守っていた祭司エホヤダの家族は祈りながら育てたことでしょう。ついに祭司エホヤダは、秘密裏のうちにユダのすべての町からレビ人の氏族の頭と連絡をとって、主が与えたダビデ契約、ダビデ王の子孫から本...

Comments


bottom of page