top of page
  • hccnichigo

2024年6月3日 サムエル記第一19章

 19章は、サウルのダビデへの怒りがますますエスカレートすることがのべられている。そして、ダビデを殺すことをヨナタンやすべての家来に告げたのである。だがダビデはいろんな人の好意によってサウルの殺害から逃れることができたのである。


 サウルが悪霊に悩まされているときにダビデが竪琴を弾いて癒してくれたのにその恩を忘れて、ただひたすら殺すことしか頭になかったサウルが哀れに思えてきました。これも神の摂理といえばそれでおしまいだけど、なんだかサウルがかわいそうに思えてなりません。神に背を向けてしまったら、どんなに赦しを請うても神は容赦しないということでしょうか。厳しい神の掟が目に迫ってきます。


 追いかけるサウルと逃げるダビデ、そして助ける人々のことが述べられています。特にヨナタンが父サウルにダビデを弁護することばに目がとまった。

 

「彼が自分のいのちをかけてペリシテ人を討ったので、主は大きな勝利をイスラエル全体にもたらしてくださったのです。あなたはそれを見て喜ばれました。なぜ、何の理由もなくダビデを殺し、咎のない者の血を流して、罪ある者となられるのですか。」5節 


 そこまで子供に言われたら同意しない親なんてありえないでしょう。子供が親を諭すようないいかたなんてありえないことです。本来ならば逆ではないでしょうか。ヨナタンの冷静に物事を見分ける賢さがすごいと示されました。私たちも成人した子供によい教訓を示していかなければ、子供に諭されることになります。その時、子供の意見を素直に聞き入れて改めることができるようになれたらいいなと思わさられるところです。


 横道にそれましたけど、一度はヨナタンの説得に同意したが又もやダビデが戦いに勝利するとサウルに悪霊が望んで本格的にダビデを槍で壁に突き刺そうとしたのである。だが、ダビデはサウルから身を避けたので難を逃れた。サウルはダビデの家に見張りをつけて朝に彼を殺そうとした。だが、今度は妻のミカルによってダビデは逃げて難を逃れサムエルのところに行ったのである。そこからつぎの御言葉が示されました。


「神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えらるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」コリント第一 10:13(抜粋)



 天の父なる神さま。私もいろんな試練を通ってきました。その時は苦しくてあなたに泣いて叫ぶだけでしたけど、泣いた涙の何倍もの祝福が与えられたということは、それはあなたが試練とともに脱出の道を備えてくださったということを知ることができ大きな恵みでした。これからも、この世では試練はつきものです。私たちがそのようなことに遭遇した時に、主は脱出の道も備えていてくださるということを心にもって歩むことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


閲覧数:31回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年7月21日 ヨハネの福音書12章

「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」12:24 この聖句は、キリストがご自身の十字架の死を一粒の麦の死にたとえて語られたところであります。キリストの死は、世界の多くの人々に永遠の生命を得させる豊かな実りをもたらすためでした。自分が死ぬことによって、人を生かすことこそ、神の栄光が現わされる方法でした。

2024年7月20日 ヨハネの福音書11章

マルタとマリアの兄弟、ラザロが死んで皆で悲しんでいるところに、遅れてイエス様がやってこられた。イエス様が来られたと聞いて、マルタは街の外まで迎えに出た。そして、この死という悲しみ、絶望の中で、イエス様はマルタと個人的に会って下さった。 「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお求めになることはなんでも、神があなたにお与えになることを、私は今でも知

2024年7月19日 ヨハネの福音書10章

『良い牧者』 「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです」(11節から13節)。 この箇所の直前には、「わたしは羊たちの門です。」というたとえ話をイエス様は語られましたが、私

Comments


bottom of page