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2024年6月2日 サムエル記第一18章

hccnichigo

 ダビデの活躍はすごいものであった。さすがのサウルもダビデを召しかかえ、父の家に帰らせなかった。そして、ヨナタンも自分自身のようにダビデを愛して、ダビデと契約を結んだ。この契約とは友情、信頼感を意味すると言われています。さらに自分の着ていた上着を脱いでダビデに与えのである。これは自分の次の王位の権利をダビデに与えたことになると言われています。これほどまでの友情は、やはり神の霊が二人をしっかりと結び付けたと思いました。


 ダビデは、サウルが遣わすところどこへでも出て行って勝利を収めた。このことをすべての人々に喜ばれた。だが、勝利の凱旋をしたときに女たちが喜び、歌い踊りながら交わしたことばにサウルが激しく怒り不機嫌になったのである。有名な箇所でだれもが知っているみことばであります。

「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」7節(抜粋)

 ヨナタンとの大きな違いである。素直にダビデの手柄を喜べないサウルであった。


 サウルのダビデに対する態度で示されたことは、私たちクリスチャンにも言えることだと思いました。自分よりすぐれている人のことを心からヨナタンのように喜ぶことができるだろうかと。イエスの教えにもあるように、「神を愛し、自分を愛し、隣人を自分のように愛しなさい。」と述べています。その信仰をもっていたら、他者のすばらしい賜物を賞賛できるのではないでしょうか。


 ダビデは何度もサウルに殺されそうになるが常にその危機を逃れることができたのは主が彼と共におられたからです。いろんなたくらみでダビデを殺そうとしても、ヨナタンや娘のミカルによって助けられます。神に油をそそがれた者は決して命をおとすことがありません。ヨナタンが勇気をだして父の前にでて談判したのはきっと命がけだったと思います。ヨナタンの言う事は一時的に受理されたが、やはりダビデを殺す計画は続行されたのである。ダビデの逃亡生活の始まりです。


 

 愛する天の父なる神さま。サウルとヨナタン、そしてダビデを通して示されたことは、自分もサウルのような気持ちになることがあります。サウルは神から見放されてしまいましたが、私たちはイエスさまの十字架によって神から見放されることは決してないことに感謝の気持ちでいっぱいです。その恵みをイエスさまをまだ知らない人々に伝えることができますように用いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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