『家族伝道』
目がとまったのは最後の31節「アブラハムは彼に言った。『モーセと預言者たちに耳を傾けないのなら、たとえ、だれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」これは物乞いしていたラザロと金持ちの話、よみ(ハデス)と天国(アブラハムの懐)にそれぞれが行った話です。金持ちが「お願いですから私の家族に、こんな苦しい場所に来ることがないように、ラザロを送って警告してください」と願った時に、たとえ死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしないと言われてしまいます。 これは直接的には、ラザロを生き返らせて金持ちの家族に送っても、すでに今までこの世に送り込まれていた、モーセや預言者のことばを聞き入れない人々は、何があっても聞き入れない。この箇所から、なんとなく、主イエスが生き返っても、それまでに送られてきた聖書のみことばに心を開いていない世は、聞き入れはしないと私たちにも語られているように思うのです。
今日の5月7日は自分の誕生日、昭和28年生まれですから随分と歳をとりました。 先日、日本に戻って一番苦労したのは、家族伝道でしたね。子供の頃に一緒に育った二人の姉と姉の家族は、みんなキリスト教に対して、というかキリスト者との過去のいきさつがあって、偽善者とすでに決めつけていて、キリスト教に対して非常に懐疑的です。久しぶりの弟が訪ねて来たので、お付き合いで日曜日に教会に一緒に来てくれました。近くの教会で自分も初めて行く教会です。ところが残念なことに、その教会は聖霊に満たされ、喜びに満ち溢れるイメージとはかけ離れていて、姉の家に戻ってくる車の中で「なんで日曜日の貴重な時間をかけて、あんなつまらない話を聞きに行く人の気が知れない」と痛烈な批判。自分の願いとは逆に教会からさらに離れてしまうキッカケを作ってしまった結果のように思うのです。
お願いですから、こんな苦しい場所に来ることがないように家族に警告してください。この苦しい場所には、世の光であるイエスがおりません、父のみもとに行く唯一の道である主がおられない、暗黒の苦しみの場所、愛そのものである神がおられない場所なのですね。
家族を救いたい、しかしかえって主イエスから遠のくような結果となってしまう。祈りが足りないのでしょうか。もしくは私の信仰が、信念が足りないためでしょうか。姉達には、聖書のみことばを蒔くように努めました、しかしヌカに釘のように手応えはありません。それでも主が手を伸ばしていて下さる事に感謝して、語り続けるのですね。
私の希望は、使徒の働き16章31節「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
祈り
どうか主のみことばの力のよって、主の愛されている多くの者たちに本当の心の平安を受け入れやがて永遠の身体をいただく事ができますように!
家族伝道について、弱い自分を助けて下さい。愛する姉達、家族が暗黒の’よみに向かわずに、主イエスのもとへと向かうことができますように、聖書のみことばに心を開きますように。アーメン
文:森 宗孝
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