『サムエルを王にしたことを悔やまれる主と悲しむサムエル』
サウルの愚かさが実に赤裸々に描かれています。またもややれかしたかといったほうがいいのではと思わされるところである。
サウルは戦いに勝った後に自分のための記念碑を建てたのである。これはまさに自分の力を誇ることである。さらに、主がサムエルを通してサウルに伝えたこと、「アマレク人を聖絶せよ」に背いたのである。サウルはアガグと、肥えた羊や牛の最も良いものを惜しんで、つまらない値打ちのないものだけを聖絶したのである。
実にサウルの目にあまる行動は、破れかぶれの王に成り下がったとしかいいようがない。そして、主のことばがサムエルに臨んだのである。
「わたしはサウルを王に任じたことを悔む。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」11節(抜粋)
そのことを聞いたサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだのです。
サムエルは翌朝サウルの所に行って神の言葉を伝えた。だが、サウルはいろいろと言い訳をしたのです。ここでどうして素直に自分の罪を認めて、サムエルと共に悔い改めの祈りを主にささげなかったのでしょうか。傲慢ななると自分を見失ってしまうのですね。私たちも心にとめておきたいことではないかと思わさられるところです。
サムエルがサウルに言った22,23節の御言葉から詩編51:17の御言葉にふれられました。
「神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。」詩編51:17
神さま。サウルの過ちを私たちも犯すことがあります。だが、私たちはイエスさまの十字架の血潮によって裁かれることを覆ってくださっていますことを心から感謝します。過ちをおかした時は、それを認めて悔い改めていくことができますように導いてください。プライドという罪にまどわされないような道を歩ませてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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