『サウルの王としての活動の始まり』
イスラエルがアンモン人に打ち勝った時にサウルが民に見せた行動に心が動かせられた。イスラエルがアンモン人を打ち破ると、民はサウルに言いました。「『サウルがわれわれを治めるのか』と言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」この者たちとは、10:27でサウルを軽蔑した人たちです。その時サウルは黙っていたのである。黙ることも神の時だったのではないでしょうか。
だがサウルは民に「今日はだれも殺されてはならない。今日、主がイスラエルにおいて勝利をもたらしてくださったのだから。」13節 と言ったのである。サウルの民への寛容さは、まさに王の態度ではないでしょうか。これらのことは、すべて神の知恵からきたものです。この戦いの勝利が自分の手柄ではないことをサウル自身がよく知っていたと思います。主に栄光を帰すとはこういうことでしょうね。神への、サウルの謙遜な心が伝わってくるようです。このままずっとその順調な王の歩みをしてほしいと思うところですが、初心を忘れてしまったばかりに後に致命的な失敗を犯してしまうのである。
そして、ギルガルに行ったサウルは、そこで民により再びサウルを王としたのである。彼らはそこで、主の前に交わりのいけにえをささげて、サウルが王になったことをサウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだのである。
7節(抜粋)「サウルとサムエルに従って出て来ない者の牛は、このようにされる。」のところに目がとまった。サウルはどうしてそこでサムエルの名前を用いたのでしょうか。ある解説者によると、王に任ぜられたばかりのサウルより、預言者サムエルの名前がイスラエル全体に知られていたからではと述べられています。賢い選択だと思いました。
神への謙遜な心、人への寛容な心、軽蔑されても忍耐をもつ心、これらのことはすべて神の霊がサウルの上に下り、知恵と力を与えてくださったから戦いに勝利できたのではないでしょうか。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」使徒の働き1:8(抜粋)
愛する天の父なる神さま。サウルが勝てるはずのない戦いに勝利できたのは、彼に神の霊が下ったからできたことを学ばされました。私たちも、内住される聖霊に満たされた毎日を過ごすことができますように導いてください。そして、神への謙遜な心、寛容な心、忍耐をもつ心などを他者にももつことができますように助けてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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