サムエル記9章から学べることは、ここで語られている偶然のように見える全ての出来事が、神の御計画であったという事で、これらすべての事は神の御計画が成就するために、神ご自身が人間の言動を一つ一つ細やかに導いておられたのだと思います。
たまたまサウロの父親のロバがいなくなったこと、サウロはそれを捜すために連れの若者と一緒に旅に出かけたこと、偶然サムエルの住む町の近くにやってきたこと、サムエルに会うことをすすめる若者がたまたま連れとして与えられていたこと、その途中でサムエルがどこにいるかを知っていた水を汲む娘たちがいたことなどを見ても分かります。 そして最後には、サム エルはサウルに、イスラエルの民にとって非常に大事な事を知らせます。それが最初ロバがいなくなった事から始まる成り行きの神の最終目的であったのです。
その大事な事とはイスラエルの民全体にとって偉大な将来への神の約束です。イスラエルをおさめる神は、従来ご自身がその民の王であり、人間の王は立てないと決めておられたのだそうです。それでも神は、「どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません」(8:19)という民の声を聞かれ、サムエルに「彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ。」(8:22)と告げられ、サウルが来る前の日に、サムエルにサウルのことを告げられました。
そして神は、この王になるための最適な人物を、既に備えておられたのです。「キシュにはひとりの息子がいて、その名をサウルと言った。彼は美しい若い男で、イスラエル人の中で彼より美しいものはいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。」(9:2)これはサウルが外面的にもイスラエルの他のどんな民よりも強く優れていたことを示すものです。
では神はなぜ、そんな大事な事を、最初からサムエルを通してサウルに知らせなかったのでしょうか。それは多分サウルにとっては、そんな大きな神の召命は受けがたく、サウルは辞退すると思われたからに違いありません。従って、神は徐々にサウルを変えていかれたのだと思います。神の憐れみです。
そして最後の節で、サムエルはサウルに、連れの若者が去った時、「、、、神のことばをお聞かせしますから。」(9:27)と語ります。そして次の10章へと続きます。
祈り
愛する天のお父様、今日のみ言葉を感謝します。主よ、あなたはサムエルやサウルだけでなく、あなたを慕う私たち一人一人の人生に介入し、それを細やかに導き、あなたの恵み、祝福、愛を受けることが出来るように御計画していてくださることを感謝します。最初サウルが、いなくなったロバを捜すための旅路を歩み始めたように、私たちにとっては無意味に見えるような路であっても、主がその路を導いていてくださると信じて、主の御声に従ってその路を歩んで行くようお導き下さい。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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