サムエルが年老いたときにさばきつかさとして任命した二人の息子は、父のような立派な人ではなかった。サムエルの息子たちを見て、イスラエルの長老たちはサムエルのところにきて、私たちをさばく王をたててくださいと言うのであった。これは、主が王として彼らを治めることを拒んだことを意味するのである。主を退けることだったのです。
彼らのことばが悪しきことであったので、サムエルは主に祈ったのである。主はサムエルに言われた。
「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのしたことといえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えることだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。今、彼らの声を聞き入れよ。ただし、彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ。」7節~9節
その王の権利とは、王は民の息子を戦争や農作業に駆り出し、娘を宮廷の仕事に従事させ、さらに人々の農地を取り上げることさえする。王の家来や官僚たちを養うために、厳しいい労役を課し、また十分の一の税金を納めるよう要求し、あなたがた自身は王の奴隷となる。そのようなことが起こってから主に助けを求めても、主はあなたがたに答えはしないと。サムエルは警告するのですが、民は拒んで、「どうしても、自分たちの上には王が必要です。」と譲らなかったのです。
20節の民のことばは、まるで他の国民のようになれば自由が得られると思いこんでいるのは、完全にサタンによって正しいものをみる目が、正しい主の御声を聞く耳が完全に閉ざされてしまったのではないかと示されました。
イスラエルの民は、神の民、選ばれた民である最高な権威を持っているのに、わざわざこのことを捨ててほかのすべての国民のようになりたいことを願望しているのである。しかも、さばくのは主ではなく、人の王で、さらに、戦うのは主ではなく、人の王であることを言っているのである。
主はサムエルに言われた。「彼らの言うことを聞き、彼らのために王をたてよ。」22節(抜粋)
私たちも大切なことを忘れて自分の思いを強く押し通すことがあります。私も何度もそのようなことがありました。今思えば、主は忍耐して私のことを待っていてくださったと思います。悔い改めることを。自分の思いを押し通す前に、主に祈っていくこと、主の御声に聞き従っていくことではないでしょうか。
愛する天の父なる神さま。私たちの王は、人ではなく主なる神です。人が戦ってくれるのではなく、主なる神が戦ってくださっているのです。どうぞほかのものに目を奪われずに、たえず主なる神に目をむけることができますように、主の御声に聞き従っていけますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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