『ザアカイ、あなたの家に泊まる』
ローマに代わって税金を取り立てるユダヤ人の取税人は、たとえ金持ちであってもユダヤ人からつまはじき、人間のクズのように見られていた当時の様子が眼に浮かぶ。福音記者のマタイも取税人きっとイエスの弟子たちから初めは白い目で見られていたのではなかったかと想像する。この取税人ザアカイもお金には不自由しないものの、大切なものを失ったと実感していたのではないだろうか。
そのような村八分の取税人の頭、ザーカイさん、背が低かったので、エリコの街のいちじくの木によじ登って、奇跡を行う有名人のイエスをひとめ見ようと待っていた。主イエスは一生一代スーパースター、その彼がいちじくの木の下で立ち止まり、上を見上げて自分の名前を呼ばれた時には、どんなに驚いたことだろう。私の名前を知っておられる、きっと自分が取税人であることも、心の中で失ったモノを探していることも、仲間外れでいる自分の気持ちも、何もかもご存知である、この方イエスが自分の家に来てくださり、一緒に食事をして、泊まって下さると言う。この村の祭司を訪ねるのではなく、いつも無視されて、汚れた者として生きている自分の家に来て下さる。なんという名誉を受けるのであろうとザーカイは思ったのでしょう。
10節「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです」失われた者とは、人生の目標を失って、漂流している船のようなザーカイのような生き方をしている者、聖なる民ユダヤ人として生まれながらも、何が大切なのかという、プライオリティーを失ってしまっている者。申命記6章5節「あなたは心を尽くし、命を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」と言う目標から外れてしまって、この世の財産、地位、名誉に向かって生きながらも、何か違うと感じている、失われた者を主イエスは捜して救いに来られた。私たちを救いに来られたのですね。どんなしもべも二人の主人に仕えることはできません。あなたは、神と富とに仕えることはできません。とありました。
聖書は作り話の本ではありません、歴史的な事実に基づいた書であり、預言書です。誰でも過去に詳しく書かれた預言書を読めば、いかに確実に、100%預言が成就されていった事を確認することができます。ここには全能なる神が、私たち失われた者をいかにして救おうとされているかと言う歴史を見ることができますので、これから将来に起こる預言もまた確実であると確証できるようになるのが聖書です。
ザーカイは、主イエスによって聖霊に満たされたのでしょう。自分の今まで貯めてきた財産を貧しい者たちに施すことを宣言し、主イエスは、今日、救いがこの家に来ました。と宣言されました。 誰にでも、それぞれの賜物が与えられて、主に仕える事が望まれています。自分の賜物を、自分だけに使うのではなく、愛する主のために、力を尽くして、心から支えるものとなりたいものです。
祈り
主イエスは私のため、あなたの救いのために平和の君として来られました。そうしてこの次に来られる時には、屠られた子羊として、信じる者たちを救い上げ、罪ある者たちを裁く神として来られる事を信じます。どうか私たちに与えられた賜物を使い、御国建設に役立つ事ができますように アーメン
文: 森 宗孝
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