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2024年4月30日 ルカの福音書9章

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『変貌山の主イエス』


 三人の弟子たちの目の前で、主イエスの御姿が変わって、顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。イエスは、ガリラヤ湖畔で、主に会いたいと集まった群衆、それは男だけで5千人、家族を合わせると1万数千人の群衆にパンと魚を与えてた後、8日ほどして、三人の弟子を連れて、祈るために山に登られた。この山はイスラエル北部のタボル山ではないかと言われていますが、ここで31節「栄光のうちに現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる(EXODUS)最期について、話していたのであった。」実にこの世の全ての信じる者を、まるでエジプトからイスラエルの民を救い出した時のように、私たちを暗闇のこの世から救い出すためのご自分の十字架, 神の子羊となって出エジプトでイスラエルの民の家の門柱に子羊の血が流されて塗られたように、主の血潮が流され十字架の杭に塗られ罪の身代わりになる最期について話されたのです。


 ここでは、主イエスが弟子達の見守る中で、イエスの本来の姿、神の御姿に戻られた様子が示されているのではないでしょうか。コロサイ書1章15節には「御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です」とあります。同時に主イエス自身が語られた言葉に、ヨハネ8章12節抜粋「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」とあるように主イエスは、この世界が茫漠として闇であった創造の時に、神の光として先に生まれた方であり、世の光です。この変貌山で、すでに亡くなっているモーセや天に上げられたエリヤと話すには、霊のお姿で、主のもともとの天上での姿に戻ってから話す必要があったのではないでしょうか。それできっと光り輝くお姿になられたのでしょう。続いて最期のことを、ルカ9章44節では「あなたがたは、これらのことばを自分の耳に入れておきなさい。人の子は、人々の手に渡されようとしています」救いの完成が人の手に渡される、自らの十字架と話されていたのでしょうか。


 先生でおられた主イエスが覚悟を決めながらエルサレムに向かうのとは対照的に、弟子達はまだ主を理解できていない姿が対照的です。神殿に向かう途中のサマリヤ人の村で、非協力的なサマリヤ人を見て、ヤコブとヨハネは腹を立てて54節抜粋「主よ。私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」と言って、主イエスに叱られてしまいます。

 この世を救おうと十字架に向かう決意をされた主を理解していない弟子、私たちはどうでしょうか? 自分中心の願い事ばかり、抱える問題ばかりをぶつけていないでしょうか。


祈り

 どうか、毎日の祈りの中で自分の願いばかりでなく、主イエスの思いが理解でき、その上で私たちに求められていることを知らされますように、神に祈る事によって、自分に与えられた賜物が何か、それをどのように使うべきかの導きも祈りの中で与えられますように。

アーメン 

文:森 宗孝


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