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2024年4月27日 ルカの福音書6章

『主の憐れみ』


 この間、以前の職場の同僚が歩いているのを見て挨拶したら、翌日テキストが入っていた。

 簡単に訳すと「昨日仕事場でちょっとあって、あなたと話したいんだけどいい?」といった内容だった。今日、土曜日の午後に会う予定である。彼女は別の教会に最近行き始めてバイブル・スタディが楽しいといっていた。

 三日前に彼女の家の近くを通ったので「Nさん、Have a Blessed Day.」と書いて送ったら、「ありがとう、時々、主人も含めて誰も私のことなんか気にかけていないんじゃないかと思ってたの。」と返事が来た。


 31節の聖句が思い出された。 「人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい。」

 前職場でも感じたことだが、人は自分以外の誰かに気にかけてほしいのだ。自分という存在をわかってほしい、愛してほしい。コロナ・ウィルスが猛威をふるっていた頃、人々は外出しなくなり、人との関わりが極限まで薄れた。一人暮らしの人は余計そう感じたかもしれない。また家族という近すぎる関係で長時間一緒にいるのも関係がギスギスしたものだ。

 また、人によって感じ方が違うので一概には言えないが、共通しているのは「自分が属する場所を見つけている」のだと感じる。例えば、仕事の仲間や家族であったり、教会の兄弟姉妹かもしれない、友人どうしかもしれないし、ジムやサークルの仲間かもしれない。だから仲間だとわかるように私は挨拶をいつもしようと決めた。知らない人でも同じコンドミニアムの人には、返事がかえってこなくても挨拶だけは笑顔でしよう。今、自分にできるのはそれぐらいしかない。


 一番私にとって難しいのは、35節の教えである。

「しかし、あなたがたは自分の敵を愛しなさい。彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、あなたがたは、いと高き方の子どもになります。いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。」


祈り:

愛する天の父なる神様、

 憐れみ深い主の御名を賛美します。

 私たちの罪を赦し救って下さった御子イエスの教えはごもっともですが、私は自分に、知ってか知らずか、害をなそうとするものを愛せません。与え続けて自分のものが無くなってしまうと悲しくて返してくれない人を愛せません。でも、今の自分にできることをしようと思います。どうか弱い私を聖霊様を通しあなたの方向へと導いて下さい。今日のNさんとの良い交わりの時が持てますように。あなたを信じる私たち一人ひとりがあなたの教えに従順であれるように、イエス様の御名により祈ります。アーメン

文: マッカーター政子



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