『姑ナオミとルツ、そしてモアブ』
前章で、「あなたの民は、私の民、あなたの神は私の神です。」と懇願して、姑ナオミと一緒にベツレヘムに戻ってきたルツは、二人が生活していけるように、畑に出かけ、落ち葉拾いを始めます。でかけた畑は、奇しくも、ナオミの近親の者で、しかも買戻しの権利のある親類の一人のモアブの畑でありました(1~3節)。
前書士師記に、「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた」と書かれているように(21章25節)、人々の暮らしや信仰の面でも混迷を極めた士師記の時代と同じころの記録であるルツ記は、相反して、どんな時代においても消えることのない神の憐みと、受け継がれていく信仰の灯火が描かれた希望の書です。今を生きる私たちへの神の励ましが込められているようにも感じます。
慈悲深いモアブは、ルツの事情を知り、自分の畑に留まり、喉がかわいたら、水がめで、若い者たちが汲んだ水を飲めるように、そして、食事時にはパン切れを酢に浸し、入り麦を与えるなど、至れり尽くせりです。ルツは食事を十分にし、余りを姑ナオミに残すこともできました。
ルツは、大麦一エパを背負って町に行き、集めたものを姑ナオミに見せます。 それから、ルツはボアズのところの若い女たちから離れないで、大麦の刈り入れと小麦の刈り入れが終わるまで落ち穂を拾い集め、こうして、彼女は姑との暮らしを続けることになります。
私がとても感銘を受けたのは、この三人が、常に、自分以外の人のために祈り、その人たちへの神様からの祝福を祈っている姿です。
ボアズは、刈る人たちに、「主があなたがたとともにおられまように。」と祈ります。(4節)ルツは、集めた落ち穂を姑ナオミに見せると、姑ナオミは、ルツに、「今日、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を止めて下さった方に祝福がありますように」と祈っています。(19節)
ルツの信仰を知ると、大いに励まされます。また新たな希望が与えられます。 だれも自分の未来のことを知らないまま生活しています。でも目先のことに惑わされずに真実な信仰を実践していくなら、主は必ず、私たちの生涯を、そして未来を、私たちが考えも及ばないように祝してくださるということでしょうか。
主への祈り:何時でも、そこにおられる主よ、あなたが私たちの祈りを聞いていてくださっていること、有難うございます。私たちの微々たる信仰の歩みをあなたが見守っていてくださることも心強い支えです。あなたにもっと目をむけることが出来ますように、聖霊様を通じて私たちに語ってください。
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