『マナセ半部族への土地分割』
ヨセフ族のくじによって、エフライム族とマナセの半部族に土地が割り当てられました。マナセ族はヨセフの長子として相続の二倍の領土を受け、長子であるマキルはヨルダン川の東に(荒野)、残りの諸氏族はヨルダン川の西(カナン)に領土を得ました。彼らは12部族のうちで唯一、2倍の土地を得ましたが、それはヤコブの預言の成就だったのではと思いました(創48:19)。
ヨルダン川西岸一帯を得た彼らでしたが、そこに先住していたカナン人たちを追い出すことはできませんでした。にも拘らず彼らは、人数の多さを理由に、更なる領土をヨシュアに要求しました。彼らに対してヨシュアは、カナンの平地や山地を切り開いて自分たちの領土とするよう命じます。しかし彼らは、そこに住むカナン人たちは鉄の戦車を持っているから無理だ、というような言い訳をします。自分たちの数の多さは主の祝福だと誇っても、鉄の戦車を持つ相手に不安を覚えるような不信仰には気づいていません。信仰があるようなフリは、真に信仰のある人の前では簡単にバレてしまうのだなと思うと、反省させられます。
さて、土地の配分に関して特筆すべきはマナセの女の子孫に関する記述でした。聖書時代、女や子供は数として数えることすらないほどの存在でしたが、それでも聖書に名を連ねた女性は、たとえ無名であっても、そこには必ず適用すべき信仰の鍵があるように思うからです。
この章ではマナセの玄孫であるツェロフハデの娘たち(マフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァ)の行動が印象的です。彼女たちは、祭司エルアザルとヨシュアを前に、自分たちの相続地を要求しました。彼女たちはヨルダン川を渡る前、モーセにも同じことを要求しました(民27:1‐11)。そして、どちらの時も「相続地をいただけないでしょうか」とは言わず、モーセの時には「私たちにも、父の兄弟たちの間で所有地を与えてください」と言い、ヨシュアの時には「主は、私たちにも自分たちの親類の間に相続地を与えるよう、モーセに命じました」と言いました。ここに彼女たちの強い信仰を感じます。彼女たちはすでに征服されたヨルダン川東岸ではなく、約束の地での相続を求めました。約束の地は戦いの地であり、危険が伴います。しかしそのことには屈せず、そこで将来展開される主のみわざに希望を持ったのでしょう。その信仰の強さの中に、女性としての強さもまた垣間見ることが出来るように感じました。
聖書に登場する女性の数は少ないですが、だからといって神の愛が男性と女性によって異なるわけではない、という励ましを彼女たちから受けます。当時の女性は数にも数えてもらえないほどの存在でしたが、自分たちが主に選ばれた民であること、主に愛されていることを信じ切っていました。そのため堂々と土地の相続を求めました。そしてそこで繁栄していく子供たちの姿を、彼女たちは見ていたのではと思います。
神が与えると言われる祝福を逃すことなく受け取るためには、誰かに与えてもらうまで待つのではない、ということを彼女たちから学びます。彼女たちのように自ら進み出なければ、受け取ることはないのです。主が与えると言われた恵みを受け取るためには、進み出なければいけないのです。十字架によって罪赦された私たちは、その恵みを受け取るために進み出たお互いです。自らの救いを求めて踏み出したその一歩が、将来の祝福に繋がる一歩でありたいと願います。
祈り:愛する天のお父さま。マナセの半部族に割り当てられた土地分割の箇所から、未来を見据えることの大切さを学びました。どうか、今日の私の選びが、未来に生きる子供たちの祝福となりますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
文:アイゾン直子
参照:e-Sword「King Comment」、https://www.israel-a-history-of.com/The Tribe of Manasseh
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