「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」6:4(抜粋)
上の御言葉は、故郷のナザレの人々が主を理解できなかったことが記されている。彼らは、主の知恵に満ちた教えが神から来たことを悟ることができなかったのである。つまり、ナザレの人々は、若いころの主イエスを知っていたゆえにかえって不信仰となったのである。そして、主イエスは、そこでは、彼らの不信仰のゆえに奇跡を行うことができなかったのである。
普通なら、大活躍をしてこられた主イエスが故郷に帰れば、故郷に錦を飾ることで大歓迎されて、喜び、お祝いをするものである。しかし、ナザレの人々の心中は、主イエスの人間的な背景(なぜ大工のせがれが、と疑い、嫉妬したのである。)を知ることが、つまずきとなったのである。
伝道するときにも言えることではないだろうか。一番むつかしいのは、やはり家族への伝道である。なぜなら、その人の背景を知ることで、疑いの目でみるために、つまずき、救いの道へと導かれないのである。今の時代にも言えることではないだろうか。
主イエスは、そこで彼らの不信仰のゆえに奇跡をおこすことができなかったことを、自分の弟子たちに見せたのである。それは、彼らが伝道活動する時にぶつかる体験をすることを見越してのことでした。伝道活動の厳しさ、覚悟というものが示されました。
愛する天の父なる神さま。家族に福音を伝えるのはとてもむずかしいです。つまずきもあります。落ち込む時もあります。それでも、私たちは救われた証し人として、忍耐と勇気をもって福音を伝えていくことができますように導いてください。感謝して、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
Комментарии