『神さまは、すべての人に同じ恵みをあたえる』
ブドウ園で働いた者への賃金の払い方に対して示された。誰もが理解しがたい箇所ではないだろうか。ブドウ園で働いた者たちに与えられる賃金は、朝の9時、3時、5時、6時にそれぞれ働きが始まってもみんなに同じように一デナリが支払われるのである。
私達がこの例えを理解できない最大の理由は、それはこれを読む私達が自分を朝早くから来て働く人に置きかえて読むからだと解説者は語っています。このブドウ園で働くことは、愛に満ちた主のもとでよろこんで働くことだのに、不平不満な気持ちで仕え、与えるという気持ちを見失ったからである。
そして、神さまは、どれだけ多くの働きをした等とその基準によって計られる事はなさらないということで、働きの大きい、小さいではないということである。夕方の6時に働きに来ても、朝の9時に働きに来た人と同じような恵みをあたえてくださるということである。イエスを信じるのに決して遅すぎるということはないということ、早く来た者たちと同じ恵みをあたえてくださるということである。
さらに示された箇所が、8節(抜粋)「最後に来た者たちから始めて、最初に来た者たちにまで賃金を払ってやりなさい。」である。私たちの思いからすると絶対に「最初に来た者たち」が優先されるはずであるのに、なぜ?と思わせられる。そして、受け取った賃金も最後に来た者たちと同じ一デナリじゃ、文句も言いたくなるのが通常ではないだろうか。
しかし、信者としての報酬は、見返りとして得られるのではなく、ただ神の恵みと憐みのみ心によってのみ与えられるもので、私たちが勝手に決めるものではないと言う事である。
「このように、後の者が先になり、先の者が後になります。」20:16
ちなみに教会時代の今、この譬え話を言い換えるとすれば、旧約時代の義人たちが早朝の雇われ労働者たちで、夕方五時ごろから雇われた人たちこそが教会時代の異邦人信者たちと言われるそうだ。
最初に「復活のからだ」をいただくのは、キリストの花嫁である教会時代の信者たちだから、どんな日没前(携挙前)ギリギリであろうとも「後から雇われた人たち」と同じように、復活のからだという栄光をいただくことができると述べられている。
そして、旧約時代の義人たちが復活のからだをいただけるのは、次にくる「七年間の患難時代の後」「千年王国の前」だから、それこそ、「あとの者が先になり、先の者があとになる」と言われている。
愛する天の父なる神さま。私たち信徒の働きすべての主権はあなたがにぎっています。どうぞ、日々のクリスチャンの働きがあなたの御名を崇めることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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