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2024年2月29日 ヨシュア記13章

 年を重ねて老人になっていたヨシュアに、主は、13:1(抜粋)で「占領すべき地は非常にたくさん残っている。」ことをつげるのである。


 モーセの後継者になってから、カナンの地を征服するために神の使命のためにずっと戦い続けてきたヨシュアも、年を重ねて老人になりました。「もう休んでもいいよ。」のおこえをかけてくださるのかと思いきや、まだまだ戦い続けていかなければならない。休んではいけないのである。これが神の召命の中にとどまり続け、忠実に従う者のすがたであろうかと示された。老人になったヨシュアがここまでできたのは、彼自身が、主がいつも共にいてくださるという確信があったからでしょう。


 13章は、ヨルダン川の東側の土地分割の状況について述べられている。

各部族の相続地が行われたなかで、14節の御言葉に目がとまった。

「モーセは相続地をレビ部族だけには与えなかった。主が約束されたとおり、イスラエルの神、主への食物のささげ物こそが彼らへのゆずりの分である。」13:14


 どういうことかというと、主が約束されたとおり、イスラエルの神、主への火によるささげ物、それが彼らの相続地であったからです。つまり、彼らは他のイスラエル人が携えてくるいけにえの分け前を受け取ることによって生活が支えられていたということです。


 33節には、「主が彼らのゆずりである。」であったとあります。つまり、神そのものが彼らの受け継ぐべき相続地であったというのです。主の仕事に直接携わり、主に集中して生きることができる。しかも生活もちゃんと保証されているのです。なんとすばらしい相続でしょうか。


 どうしてレビ族だけが、神の恵みを受け取ることができたのでしょうか。それは、モーセがシナイ山で神に祈ったときにイスラエル人は子牛の偶像礼拝をしていたが、レビ族だけはそうはしなかった。主に対する忠実さを失わず、モーセの教えを守り、その指導に従っていったのである。レビ族はその信仰のゆえに、神に直接仕えるという仕事を専門にするようになったのである。レビ族の行いから次の御言葉が示された。


 主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」 マタイの福音書25:21



 愛する天の父なる神さま。あなたの御名を心からほめたたえます。今日の御言葉を感謝します。日々、主への忠実さが失われずに、主とともに生き続けることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。


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