『そして、その地に戦争はやんだ』
この前の章10章では西側を、この11章では特にイスラエルが北部の連合軍との戦って聖絶し戦争は終わり、イスラエルの部族への念願の相続地を与えることになった歴史が記されています。最後の抵抗は、この北部連合軍の中心となったのはハツォルの王ヤビン。 ハツォルはガリラヤ湖のもっと北ですからヘルモン山の麓、ここはイスラエル部族ナフタリ族が相続した土地です。 イスラエル軍は、連合軍に比較すると弱小で軍備も整っているわけではありませんが、神を頼って戦ったと言う歴史的な事柄が記されています。信仰はまさに戦争なのです。
イザヤ書41章13節「わたしがあなたの神、主であり、あなたの右の手を固く握り、「恐るな。わたしがあなたを助ける」と言う者だからである。
日本も13世紀、鎌倉時代にモンゴル帝国から約3万の軍勢が博多湾で台風によって退却させられ、日本はこれを神風として第二次世界大戦にも、その思想が表れていた。現代のイスラム過激派も聖戦として戦いを続けている。本当の神が喜ばれるのは、砕かれた心、神は高慢な心に対しては逆に、恵みではなく、裁きを与える。
聖書は、神の救いが、世の初めから終わりまでにわたり描かれています。その救いの順序はたった一人の神を信じる者、アブラハムから一代民族を起こし、聖なる民によって世界の民を救い出すという壮大な計画と共に、罪によって脆くなってしまった人に、神の御子を送るまで愛してくださった事を記しております。この闇夜の世界では信仰は闘いである事を、聖書ははっきりと示しているのです。しかし、やがて神の約束が果たされて、戦争は止むのです。
20節「彼らの心を頑なにし、イスラエルに立ち向かって戦わせたのは、主から出たことであった。それは、彼らを容赦無く聖絶するため、主がモーセに命じられたとおりに彼らを根絶やしにするためであった。」主は彼らが砕かれた心を持たずに、偶像の神々を頼り、聖なるイスラエルの民にたてつくように、彼らの心を頑なにしたのでした。
祈り
聖なる神よ、畏れ多い我が主よ、どうか私達の心を頑なにするような事態になりませんように、常に神に対して、柔和な心を持つことができますように。アーメン
文:森 宗孝
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