『信仰回復と強化』
まだイエス様がいらっしゃらなかった頃、出エジプを目撃したモーセの世代とカナンを征服する世代との溝を埋めるのが、モーセの後継者ヨシュアである。
ヨシュア記八章ではエリコ陥落の後、アイに攻め上れ、との神様の命令がくだる。
1節「恐れてはならない、おののいてはならない。戦う民をすべて率い、立ってアイに攻め上れ。見よ、私はアイの王と、その民、その町、その地をあなたの手に与えた。」で始まる。アイという町はエリコより小さい。前章で行かせた偵察団は小さい町なので二、三千人ぐらいで討たせれば大丈夫との意見をヨシュアに述べた。しかし、神様は「戦う民を全て率い」と命令している。神様はここでヨシュアにリーダーシップと兵法も教えている。
すべての民を一度に投入し戦わせるのではなく、おびき出し挟み撃ち作戦の知恵をヨシュアに授ける。これは昔も現在も使われている兵法である。小さなことを言えば、コストコでの味見コーナーも似たような営業戦略である。 買うつもりでもないのに買ってしまったりする。
神様が「恐れるな、おののくな」とおっしゃっているのに、人間とは弱いものでまわりの状況や環境などを見て恐れてしまう。前章で、主のいう通りにしなかった兵士が現れる。兵士といってもその頃は訓練された軍隊兵士達ではなく一般民であっただろう。ヨシュアはひれ伏して祈り、神様とイスラエルが和解する知恵を授かり一件落着する。ここで民は主の命令に従えばすべてよし、と学ぶ。主の命令はこの頃、ヨシュアを通して告げられる。なので、ヨシュアが神様から受けた指示通りに民が動けば、アイという地もカナンの地も手にはいる。
8章で一番注目したい所が二か所ある。
1節の「その地をあなたの手に与えた」まだ始まってもいないアイでの戦い。神様はすでに与えたという。
牧師先生がへブル語に過去形や未来形がないと教えてくれた。神の計画することは必ず成るので、すべてが完了形だという。目からうろこ、とはこのことだった。8章のはじまりで神様はアイの地を与えたのだ。だから恐れるな、とおっしゃられている。
イザヤ書41:10 「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。」
エレミヤ書29:11
「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている―主のことば―。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
私を洗礼へと導いた聖句である。ありがたい、感謝でいっぱいだ。
聖書に書いていないことはたくさんあるかもしれない。でもこの計画については、きちんと書いてある。
神様には一人一人、私たちへの計画を持っていて下さる。神様はひとり子、イエスを犠牲にされ私たちの罪を赦して下さった。その計画には平安があり、将来と希望を与えてくれる。こう聖書に書いてある。
あなたへの、わたしへの計画は神様の計画なのだから必ず成る。なにせ完了形なのだから。だから、安心して人生という戦闘にのぞみましょうう。
祈り:
愛する天のお父様、どうか私たちが恐れず、世間にふりまわされず、生きていけますように 日々御言葉の鎧を着させて下さい。人生という戦闘に恐れることなく乗り切って最後にはイエス様に会えますように。どうかあなたの命令に従順であるものとなれますように日々信仰告白させて下さい。ヨシュア記の民のように、あなたが再三言ったことが実現するのを見るまで信じない私たちです。目が開いていても見えない、聞こえる耳があるのに聴こえない。動く身体があっても、動かない。それは、まさしくわたしです。まだ、わたしは全力であなたを愛するに至っていません。どうか日々イエス様の十字架へと導いて下さい。尊い御子イエス・キリストの名により祈ります。アーメン
文:マッカーター政子
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