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2024年2月22日 ヨシュア記6章

『エリコの城壁の崩壊と主のさばき』


 主の命令に聞き従うヨシュアと、ヨシュアの命令に聞き従う祭司と民との行動は、主の臨在に従うことだと言われている。


 ときの声をあげず、声を聞かせないで、口からことばをださずにただ黙々とエリコの城壁の周りを歩き、七日目には七度、同じことを繰り返した民である。そばで見ていると奇妙な光景に思えただろう。足音だけがぞくぞくと聞こえるようである。その時の民の心は、主に従うヨシュアをみて、彼に主の臨在をみて彼に従うことが芽生えたのではないだろうかと思わされた。昔、浦和の競馬場の近くに住んでいたことがあった。ある週末に人の声はあまり聞こえないで、大勢の人の足音だけがぞくぞくと聞こえてきて、何事かと、思わず玄関から飛び出して門の外に出て行ったことがあった。実に初めて見る光景で驚いたことが思い出された。


 この戦いの主役が戦士ではなくて、祭司であるというのにも目がとまった。今までになかったことではないだろうか。さらに、武器は剣ではなくて角笛だったのである。信じがたいことである。だが、ヨシュアは主のことばに聞き従い、又、祭司や民もヨシュアのことばに聞き従ったのである。主のことばは必ず成就するからです。


「わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。」イザヤ書55:11


「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」マタイ19:26(抜粋)


 その角笛の音と共に民はときの声をあげると、エリコの城壁は崩れおちたので、民はまっすぐに攻め上った。主の命令通りに、町のすべての人々や家畜を剣の刃で聖絶したのである。それが主のさばきで、決して容赦しないことを忘れてはならないことである。


 人と人の約束がここで成就することもみのがせない。ヨシュア記2章で、主を畏れて二人の偵察者をかくまったラハブと交わした約束である。ラハブとその一族は、主のさばきからのがれることができたのである。



 愛する天の父なる神さま。御名をほめたたえます。私たちの敵はサタンです。日ごろの生活の中でいつもサタンの誘惑があります。サタンの誘惑に引きずりこまれないように、常にあなたの御言葉にとどまり続けていくことができますように導いてください。日々、あなたの臨在のなかでいかされますように助けてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。


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