ヨルダン河を渡った後、民にとっては、これからカナンの地を獲得していくという戦いが始まるのだ。この5章には、このタイミングで起こった出来事がいくつか記されている。
まず神が命じたことは、民に割礼を施すことであった。割礼は、神が定めた神との契約のしるしである(創世記17章10節)。
次に、民が地の産物を食べたとき、天から降るマナがやんだ。そしてみ使いがヨシュアに現れ、この場所が聖なる場所であること、つまり聖なる神がこの場所におられるということである。
エリコの街の攻略を前に、契約、新しい恵み、臨在が示された。民は、自らが“神の民”であること、収穫するという恵み、神がいつも共にいること、そのことが示されたのである。
これは、私たちが主による大宣教命令に従い、宣教に励むための備えだ。私たちは、割礼ではなく、イエスの十字架の地による新しい契約を得た。イエスご自身が命のパンとして御言葉によって私たちを養ってくださる。そして「みよ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)という神の臨在の約束を得た。
この備えを得て、私たちは今日も主の業に励んでいきたい。
天の父なる神さま
私たちは、ヨシュアたちがエリコの街を占領したように、十字架の福音でこの地を占領するために召されています。十字架の福音と御言葉と臨在をもって、宣教の業に励むことができますように、私たちを強め、用いてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン 文:関真士
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