『あなたの油を分けて下さい』
古代ユダヤの結婚式は、まず親同士の承認による婚約があり、それから花婿は新居の用意を始める。近代でも中東の家では、時々平屋の家の屋根に、2階建てにするための、柱だけが建っている家があるそうだ。それは、たとえ1年かかっても、花婿がお金を少しずつでも貯めて、徐々に親の二階に自分達の新居を増築しようと、まず柱を建て、次に稼いで屋根や壁を時間をかけて増築する段階にある家が増築中の家となっている。
そうして新居が完成したら、花婿の父親が結婚式の日時を決めて、花婿が花嫁を迎えに行くのがしきたりで、花嫁も花婿も自分達で結婚式の日を決めることは出来ない。主イエスは「わたしの父の家には住まいがたくさんある。行って、場所の用意ができたなら、あなたがたを迎えに来よう」ヨハネ14章2節でおっしゃています。しかし、花嫁であるクリスチャン・教会を迎えにくる日がいつなのか。主イエスは「その日、その時は、誰も知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。」マルコ13章32節で、再臨される日は天の父だけがご存じと言っておられます。
そのような背景を理解して、この25章の花婿を迎える十人の娘の話を理解しましょう。いつ花婿が来られるのか分からずに待っている十人の娘は、私達、クリスチャンです。しかし待ちくたびれて、半分の娘たちは、聖霊の油を切らしてしまう愚かな娘たちでした。この25章8節「愚かな娘たちは賢い娘たちに言った。『私たちのともしびが消えそうなので、あなたがたの油を分けてください。』残念ながら私達が頂いている、個人個人の聖霊や賜物を分けることは出来ません。こうして聖霊を切らした愚かな娘たちは、盛大なる婚礼の祝宴、黙示録では、天における婚礼に戸が閉じられ、招かれることがなくなってしまいます。
この時の油とは、聖霊だろうか、いやむしろ、それぞれに与えられた賜物(タレント)のことかもしれません。特にこの後のたとえ話しに、主人からタレントを預かって、それを増やした忠実な僕の話がありますので、この油が示すのは、与えられた賜物なのかもしれません。しかし、聖霊、賜物、どちらにしても主イエスも、「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者が、みな天の御国に入るのではなく、ただ、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」マタイ7章21節 と仰っておられます。
富士山、富士山と叫ぶ者が、富士山を登った者ではありません。自分の荷を背負って、足を使って登った者だけが、富士山の頂上から見る日の出の美しさを知る者であります。
祈り
どうか私達、主イエスを信じる者たちが、聖霊や私達が天の父から与えられた賜物を失うことがありませんように、聖書のみことばを信じ、まだいまだに完成しておりません希望、主の再臨と私達の永遠の命に向かって、聖霊をみことばで燃やし続け、与えられたタレントをこの世で活用しながら、父なる神のみこころを背負いながら、聖なる山を登り続ける者となりますように、導き下さい。アーメン
文:森 宗孝
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