「彼は主の目にかなうことを行ったが、全き心をもってではなかった。」―2節―
アマツヤも父ヨアシュと同様に、途中で主に従わなくなったことが記されています。主に全き心をもって最後まで従っていくことの厳しさ、むつかしさ、高慢さが問われるところではないでしょうか。
アマツヤが最初に主に従ったのは、父ヨアシュを暗殺した家来たちを処罰したが、彼らの子どもたちは殺さなかったことです。これは、モーセの書の律法の中で主が命じておられたことでした。
「父が子のゆえに殺されてはならない。子が父のゆえに殺されてはならない。人が死ぬのは、自分の罪過のゆえでなければならない。」―4節(抜粋)―
アマツヤは見事にこの律法に記されているところに従ったのである。
そして、次に主に従ったのは、神の人の語ることばに従ったのである。つまり、神の人は7節で、イスラエル、すなわちエフライムのいかなる人々とも、ともにおられないからと告げました。どういうことかと言うと、主を信じない兵士による戦いでは勝利を得ることができないということです。さらに、神の人は語ります。行くなら、神はあなたを敵の前につまずかせると。神には、助ける力も、つまずかせる力もあるからと。そこまで言われたら従わないわけにはいかないでしょう。彼はしぶしぶと従ったのです。そして、アマツヤはエドム人を討ったのである。
しかし、アマツヤはセイル人が信じる偶像を持って来て、それらを自分の神々として立てたのである。主は怒って預言者を遣わして、偶像礼拝を戒められますが、アマツヤは聞きいれませんでした。アマツヤはエドムとの戦いに勝って高慢になっていたのです。イスラエルの王ヨアシュの忠告も受け入れなかったアマツヤは打ち破られたのである。その後、アマツヤは十五年生きたが、彼が主に従うことから離れたとき、最期は謀反にあいラキシュで殺されるという悲惨な最後でした。主に従うことから離れてしまった末路でしょうか。
愛する天の父なる神さま。御名をほめたたえます。この待降節の頃に示されたことは、この世に下りて来られたかたは、ただお一人であられるイエス様だけです。イエス様の十字架の無償の愛を覚えて、主に従うことから決して離れていくことがないように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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