2024年12月16日 歴代誌第二36章
- hccnichigo
- 2024年12月16日
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『ユダ王国、最後の王たち』
主を忘れた南ユダの民の最後の王たちは、すべて主の目に悪い者たちばかりだった。エジプトという大国とバビロン帝国に挟まれて右往左往していた時代、王の名前が似ているので分かりずらいが、ヨシア王の子エホアハズはわずか3ヶ月、次にエジプトに推されて王となったエルヤキムは11年間、その後バビロン帝国に捕虜となった、次の王はエホヤキン、たった3ヶ月と10日に終わる。次のバビロンに推された王、ゼデキヤの治世は11年、そうして高慢となったのか、バビロンにも、ユダヤの祭司にも忌み嫌われ、やがてバビロンに捕えられた。
21節「これは、エレミアによって告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。」
ユダ王国は悪王たちが続いて、ついにバビロンによって滅ぼされ、ユダの民はバビロン捕囚を体験するのだが、この21節には、これは預言者エレミアのことばが成就するためであり、この地が安息を取り戻すためとある。安息を取り戻すとは、主のあわれみを受けたシャロームをもう一度受けるため、ユダの地、ユダの民は荒廃してしまい主から離れているので、さらに主による安息を取り戻すために七十年という、なざ70年なのか、それはきっと、ひとつの世代を終わらせ、次の世代へと移行するという、世代を超えた時間の中で、主を求めるように悔い改めよということではないかの思う。そうしてユダの民は、主のことばは必ず実現する事を、身をもって体験させられたのだ。
エレミア書29章10〜13節抜粋「まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる....それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるものだ......心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。」
故郷を思い起こし、捕囚の地で肩身が狭い思いをしていたユダヤの民は、70年間の捕囚を終えて、念願のエルサレムに戻り、徐々に神殿も建設されていく訳ですが、この経験以降、偶像礼拝を徹底的に忌み嫌う民族になっていったのではないかと思います。やがてそれが律法主義に走ってしまう要因にもなるのですが、ユダの民は、主からの試練と捕囚からの主による解放を体験するのです。
主の約束、みことばは必ず成就することを歴代誌から学びました。
祈り
主は私たちを鍛えるために、聖なる民がアッシリアやバビロンによって制裁を受けるなかでも、心を尽くしてわたしを求めるならば、わたしを見つけるとして。ペルシャ王キュロスを奮い立たせました。私たちの救いは、主イエスによって与えられています。どうか私たちが心をつくして主を求めますように アーメン
文:森宗孝
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