『心の萎えたアサ王』
ここには、歳と共に変わってしまったアサ王の晩年の姿、信仰が廃れて、主を求めず、頼ることを辞めてしまった最後が示されている。ことの起こりは、北イスラエル王バアシャが、自分の治める北王国は、政治的にも経済的にも不安定で、自国民が南王国へ移り住むのを止めようとした事から始まる。はっきりとした地形の知識は自分には、無いけれど高い所にあるエルサレムへの道は、山陵沿いで、北王国と南王国の国境に当たる町、エルサレムの北にあるラマに砦を築いて、南に行く事ができないようにした事から始まった。
若きアサ王であれば、主に祈り、頼って解決法を求めたはずなのに、老年のアサ王は権力に慣れてしまったのか、自分の策略で解決しようとしたのだ、北王国のさらに北の国、ダマスコのアラムの王に金銀を送り、同盟を結び、北王国を攻撃させたのです。 その結果、確かに北防衛に力を注がなければならなくなったので、ラマの要塞造りは急遽取りやめになりました。結果オーライです。しかしながら主により頼む事を忘れたアサ王に、予見者が送られ9節抜粋「あなたは、このことについて愚かな事をしました。これから、あなたには数々の戦いが起こるでしょう。」と予見されています。昔であれば、畏れいって主のみことばを受け取ったはずのアサ王は、怒って、彼を牢獄に入れて、鎖で繋いでしまいました。恐らくその結果だろうと思うのですが、彼自身が今度は両足とも病気になって歩けないまま死んで行きました。
もう一つラマという町、この町はどうやら象徴的な意味を持つ様です。やがて南王国ユダもバビロンから征服されて、多くのユダの民は、北にあるバビロンに連れてゆかれます。その時にこのラマを通過したのでしょう。預言者エレミヤ書31章18節「主はこう言われる。「ラマで声が聞こえる。嘆きとむせび泣きが。ラケル(イスラエルの母親の代表的な名前)が泣いている。その子らのゆえに」と新約聖書でもラマの名前が引用されているのは不思議な事でした。
祈り
私達もアサ王のように年と共に、主への信頼よりも自分の経験を中心に判断してしまいやすくなっています。どうかこの身体は、朽ちる一方ですが、魂は主を求めるかもしかのように若々しく、いつまでも主を愛し、頼る者でありますように。 アーメン
文: 森 宗孝
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