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2024年11月22日 歴代誌第二12章

  • hccnichigo
  • 2024年11月22日
  • 読了時間: 3分

 古代の王たるべきものには三つの主要な義務がありました。強い軍隊を備えて外部からの攻撃から国を守ること。国内の安政秩序を守ること。神殿を建て神々を喜ばせること。しかしイスラエルの場合は、それら三つに加えて、主の律法を学び、王自身がこれに生きることを模範として、人々にも律法に生きることを教えることでした。


 ダビデも、ソロモンも確かにそうでした。しかし、ソロモンの富と勢力を受け継いだレハブアムは律法から離れ、悪事を行い、心に決めて常に主を求めることをしなかったと書かれています。それを全イスラエルの民も倣ったとあります。(1節)


 そんなレハブアムの治世5年目には、エジプトのシシャク王が大軍をもってイスラエルに侵略し、主の宮と宮殿にソロモンが蓄えた富を奪っていき、ソロモン王国の繁栄は踏みにじられ、ユダ王国もイスラエル王国も完全に滅ぼされる寸前でした。


 そのような状況の中で預言者シェマヤはこれらすべては神から離れてしまったレハブアムへの裁きであると伝えます。その時レハブアムは素直に「主は正しい」と認め、悔い改めます。12節にある「ユダにも良いことがあった」ということで、主は「彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与えよう」とされました。


 シェマヤのことばから学べることは、私たちが色々な原因で苦難の中を通らなくてはならないのは神の御計画である。それは神のお導きの中で生きることと、この世の支配の中で生きることとの違いを私たちに見せてくださるためである。神の道から離れて生きていることを認知した私たちが悔い改める時、神は私たちを滅ぶべき道から救い出してくださるということです。永遠の滅びから永遠の命へと導いてくださるのです。


 14節には悔い改めについてさらに付け加えられています。「彼(レハブアム)は悪事を行った。すなわち、その心を定めて常に主を求めることをしなかった。」とあるのは、一度悔い改めれば,それですべて一件落着ではないことだと思います。何かの苦難があった時だけ「主は正しい」と悔い改めるという人生ではなく、いつでも主を認め「主は正しい」と信頼して、神の憐み深さを覚えつつ、謙虚に歩むべきだと教えられます。



愛する天のお父様、あなたの御名を賛美します。私たちがあなたの道から離れて失敗をやらかすような時でも、私たちが悔い改めてあなたの元に戻ってくるとき、あなたは私たちのことを完全に滅ぼされることなく、赦してくださるその寛容さを感謝します。これからも「主は正しい」と心に決めて、どんな時でもあなたを求めつつ、私たちの人生を歩ませてください。アーメン


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