20章には、ダビデがエルサレムにとどまっていると記されている一方で、罪については触れられていません。代わりに、アンモン人やペリシテ人との戦いでの勝利が書かれています。これらの勝利は、それぞれに戦った者が神さまに信頼し、自らに与えられた役割を果たしたことによってもたらされたものだと思います。
私が特に感じたのは、戦った者の名前が一人一人記されていることです。彼らはそれぞれの立場で、神さまから与えられた役割に応え、勝利を収めたのだと思います。このことを通して、私たちもまた、神さまの体の一部として与えられた役割を全うすることが、神さまの栄光を表すことになるのだと教えられました。
以前、関先生から「教会をイエス・キリストの体として表すならば、どこの部分を担っていますか?」と問われたことがありました。その時、私は「足のすねあたり」を思い浮かべました。ささやかな役割かもしれませんが、今もキリストの体の一部分として支えられていることに感謝しています。微力でもその役割に喜びを感じ、大切にしていきたいと思います。
アンモン人やペリシテ人との戦いでも、すべての者が神さまへの信頼を持って力を合わせたからこそ、勝利を収めることができたのではないでしょうか。私たちも、キリストの体の一部として互いに支え合い、信仰の歩みを共にすることが大切だと教えられます。
愛する天のお父さま、
イエス・キリストの体の一部分として、私たちが与えられた役割を喜びと感謝をもって担うことができるよう助けてください。歴代誌での戦いにおいて、戦った者たちが役割を果たし、あなたの力によって勝利を得たように、私たちも信仰の歩みの中で互いに支え合い、あなたに従い続けることができますように。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
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