この章はいよいよ神の神殿が出来上がり、ソロモンが全会衆を前に祝福し、とりなしの祈りを捧げる場面だ。
その中で、ソロモンの「神は、はたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。」(18)ということばが心に留まった。ソロモンはこれまでにも何度か同じようなことを口にしている。
そうは言いつつも宮建築を進め、完成させたのは、契約の箱を収めるため、ダビデの願いに対する神様の導きがあったからである。そして、約束の地での生活で、何としてもこの地に神様の御臨在をと求めていたこと、神様を中心として生活したい、神様をたたえたいという願いが強かったということがあると思う。その思いがこのソロモンの祈りに込められていると感じた。
私たちは罪人であって、必ず罪を犯す。でも、そうであっても、民がその罪に気が付き、宮に向かって祈り、神様をほめたたえ、神様に立ち返るなら赦してくださいとソロモンは民のために祈る。罪の気づきも赦しも神様の御臨在の中で行われるのだ。御臨在なくして、どうして罪に気づくことができるだろう。今イエス様はソロモンが民のためにとりなしたように私のためにとりなし、祈って下さっているのだと思わされた。
愛する天のお父様、今日のみことばをありがとうございます。万物をおつくりになった神様、すべてを司っておられる神様が、親しく私のうちに御臨在下さるとはなんという恵みでしょうか!それも、神様が人々の間に住むことを望んで下さり、罪人の私をあきらめることなく導き、私が心の扉を開けるまで、ものすごい忍耐をもって待っていて下さいました。そのような愛の中に私は今も生かされています。私はどこまでいっても罪人ですが、神様の愛はそれをも包む大きなもので、神様の愛から決して引き離されることがないとは、なんという恵みでしょう。神様は、神様と共に歩む中で少しずつ気づきが増え、変えられていくという希望を与えて下さっています。今日も神様の愛の中、歩ませて下さい。感謝してイエス様の御名によってお祈りします。アーメン
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