「今、わたしはあなたに告げる。主があなたのために一つの家を建てる、と。」(10)
ダビデに対する主の約束です。ダビデは自分は贅沢な家(杉材の家)に住んでいるのに、神の箱(神の臨在)は、天幕の中にあることを良しとせず、神のための住まいを造ると進言しました。しかし神は、「わたしは、イスラエルを連れ上った日から今日まで、家に住んだことはなく、天幕から天幕に、幕屋から幕屋に移ってきたのだ。」(5)と答えました。そして、逆に神がダビデのために家を建てると言われたのです。
神は、なぜ一つの場所におられないで、「移って」いくのでしょうか。やがてソロモンの神殿が建立され、そこは主の臨在で満ち、主の住まいとなったのです。しかし、その神殿はやがて権力によって腐敗し、イエスの時代には金儲けの道具とされていました。それゆえ主は、あえて昔も今もほとんどの時代、特定の場所に留まることをされずに、常に「移動」するのです。
それは、私たちが移動するからです。主は、私たちが行くところどこででも共にいてくださるために、常に移動してくださる方なのです。私たちの方から主のもとに行く事も大切な姿勢です。しかしそれより先に、主の方から私たちの方に来てくださるのです。
天の父なる神さま
あなたは、あえて特定の場所に留まらずに、移動してくださるお方です。私たちの行く所どこにでも共にいてくださるためであることを感謝します。今日も、主が私たちと共に、この人生の旅路を歩んでいてくださることを感謝します。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
文:関真士
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