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2024年10月22日 歴代誌第一9章

『神殿に戻る者たち』


 ここはバビロン捕囚からエルサレムに戻って神殿で奉仕をする者たちとなります。バビロン捕囚がどのようにして始まり、終わったかはの内容には触れずに、祭司としての見方、肝心な神の天幕ではどのような事が起こったのかを描写している、エルサレムの神の祀られた天幕や神殿がどうなっているのかが肝心な事として描かれる、きっとこの事が歴代誌としての視点なのでしょう。


 捕囚から戻ってきたのは、12部族全員ではなくてユダ族、ベニヤミン族、エフライムおよびマナセ族が始めで、それほど多い人数では無かったのが分かります。バビロンは大きな商業都市ですから、そこに根を下ろしてしまったユダヤ人もいたのでしょうか。この章では、すでにエルサレムは、ダビデ(22節)の時代に入っているようにも読めます。まだ神殿は無かったものの天幕が完成していたのでしょう。そこでのレビ族の担当の仕事が列挙されています。祭司職意外に、宿営の門衛、天幕には入り口が一つしかありません、そこを守る者、宝物倉を管理したり、香料を調合する担当、菓子作りの務め、そして賛美と音楽の担当、この歌い手はレビ人の一族のかしらであり、昼と夜となくその務めをしていたとあります。やはり昔から、賛美をもって主を礼拝していた姿がここにあります。


 岩手県山田町におりました時に「いっぽいっぽ」というクリスチャン団体の経営するカフェを手伝っていました。その頃まだ仮設住宅に住んでおられる方が多く、中には1日に2度、3度来られて、おしゃべりする場として利用されていました。津波に襲われた時の経験を、同じ経験をした町内の人とはかえって話しずらい、彼らが失った家族の事を知っているためのようでした。しかし、部外者である私たちには、その時の経験を良くコーヒー飲みながら話してくれました。このカフェを開ける時に讃美歌を歌ってから店を開けるのですが、ある時早く来られた方が座って賛美を聞いてから、「クリスチャンは良いな、たくさんの賛美がある」と言ってくれた方は、実はこの町のお寺のお坊さんだったんです。本当にクリスチャンは昔から賛美に恵まれていますね。


 さて、バビロン捕囚でユダヤ人が徹底的に学んだのは、唯一の神であるヤーウェイへの忠誠心であり、徹底的に偶像礼拝から離れる事を腹のそこから学び、神殿の重要性を認識した事では無かったかと思うのです。ユダヤの民は、このバビロン捕囚以降、偶像礼拝を徹底的に嫌うようになっています。そうして、神殿を失ってしまったユダヤの民は、昔は神殿の建てられていた土台の西壁、嘆きの壁で頭をつけて、願っているユダヤ人は、自分達の神殿をもう一度再建する事を祈っています。やがて第三神殿ができて主イエスが再臨されるというのが聖書が示すところでもあります。


祈り

 どうか私たちの賛美によって、主の栄光が満ち溢れますように。主が御顔を賛美する私たちに向けて愛を注いで下さいますように。主が喜んで下さいますように。 アーメン 

文:森 宗孝


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