『聖霊によって止められる』
この16章は、パウロの第二次伝道旅行が背景にあります。7節「こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。」6節にも聖霊によって禁じられていた、との記載があります。当時のアジアとは今のトルコ領の西側を指していたようです。そこには後から出てきます、ラオディキア、コロサイ、エペソ、ティラティラなどの町があったのですが、この第二次伝道旅行では、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられていたというのです。実に不思議な出来事です。アジアでは禁じられていたものの、トロアスという港町から向かい側の今のギリシャ、マケドニアはすでにヨーロッパ大陸ですが、そちらに向かい、ピリピやテサロニケなどを訪ねることになるのですが、有名なパウロとシラスが鞭打たれ、牢に入れられた時に地震で牢獄の扉が全部開き、やがて看守とその家族が救われることになります。31節「二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」この私達の家族伝道に励ましになる、嬉しいみことばが語られたわけです。主イエスを信じれば、あなたもあなたの家族も救われる希望があります。
しかし、今日は聖霊に止められる、このことに注目したいと思います。日本で長らく宣教師をされた方と話していた時のことです。特にこれからの自分達の進むべき道をどうしたら良いかと私たち夫婦が悩んで相談しに伺った時のことです。皆さんも、ちょうど二股に別れている道にさしかかった時に、右にゆくべきか、左にゆくべきかと悩んだ経験がある事と思います。彼の例話は、主を信じる人は多くの場合、岐路にさしかかると、どちらに進べきかと神からの信号、道路の信号である緑の進めという指示が現れるのを待とうとする、しかし、そうではなく、私たちが最も注意を払わなければならないのは、信じて進む時に現れた赤信号である。主からの赤信号に気がつかないと大事故にあったりしてしまう。どちらにつき進むかを決めることよりも、選んだ方向に進む時に、もしも聖霊から止められる事、赤信号がともったならば、元の場所に戻りやり直せば良い。とアドバイスを受けて納得した経験を思い起こします。
祈り
主よ、自分の性格で、どうしても、自分の思いで進み出してしまいます。どうか聖霊によっての赤信号がともった時に、それをはっきりと見極める事ができる心をお与えください。そして元の道に引き返す勇気をお与えください。いつも見守ってくださることに心から感謝致します。アーメン
文: 森 宗孝
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