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2024年1月9日 申命記24章

『落穂拾い』


 この24章の始めには、離縁のことや新婚の家庭から兵士として徴兵しないように、隣人との貸し借りのルール、皮膚病ツァラアトの病人の取り扱い方、誘拐の罪、賃金のその日払いなど、聖なるイスラエルの民の日常生活に関わる様々な問題に関しての教えが示されています。


 今日は、一つ一つ、関係のある出来事を書き連ねます。まず15節にその日の賃金はその日のうちに支払いなさいという箇所を読んで、主イエスのたとえ話、ぶどう園で働く者を雇う話を思い出しました。一日一デナリの支払いを約束したぶどう園の主人、朝早くから働いた人にも、夕方に雇われて1時間しか働かなかった人にも、同じように一デナリを夕方に支払った(マタイ20章1~16節)後の者が先になり、先の者が後になる、たとえ話です。


 次に24章に戻り、17節「寄留者や孤児の権利を侵してはならない。やもめの衣服を質にとってはならない。」この社会的弱者を守りなさいという教えに注目しました。


 主イエスの系図の中にルツという異邦人女性が出てきます(マタイ1章5節)彼女は旧約聖書のルツ記に出てくるルツですが、息子たちが次々に亡くなったナオミという義理の母を守ってベツラハムに戻り、貧困生活の中で、親族のボアズの畑で落ち穂拾いをしながら、やもめの義母を養うのですが、イスラエルでは、農民が収穫する畑では、わざと全てを刈り取りせずに少量の、それが麦畑であれば麦の穂を残しておくそうです。この時代、働き手の男を失ったやもめには生活能力がありません。そのようなやもめや貧しい人たちが落ち穂拾いで食いつないでゆけるような教えが聖なる民には与えられていました。


 日本では、とても効率的に全てを残さず刈り取りを完全に行うのが当然ですが、果たしてどの程度、弱者に対する思いやりが残されているのでしょうか?気になるところです。


 さて皮膚病についてですが、私たちがしばらく過ごした天草は30以上の小島があります。釣りに出かけると、点々とした島々が見受けられて、中には小さな浜辺があって、ちょっと船をつけて寄りたくなる風景なので、船を操っている友人に、あの島に寄ってみたいと言ったところ

「ダメダメ、あそこは漁師が避けている島で、昔は皮膚病の人が島流しにされて死んでいるので祟りがあると言って、漁師は寄らない」という事でした。その時代、ある程度食べ物を渡して島流しにしておき、島から焚き火の煙が上がっているうちは、まだ生きている証拠、煙が無くなってしばらくすると骨を埋めに行ったそうです。神社がある小島には行って良いけれど、無い島は寄らないのが地元の人だと言われましたね。隔離して、村八分となり捨てられると言うちょっと前の日本でもよくあった話です。 


 主イエスは、隣人を愛しなさいと強調されました。

マタイ25章44~45節「主よ。いつ私たちは、あなたが空腹であったり、渇いていたり、旅人であったり、裸でいたり、病気をしていたり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。」すると主は彼らに答えます。「まことに、おまえたちに言う。おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。」


祈り

 わたしに向かって「主よ、主よ」と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。(マタイ7章21節)どうかみこころを行う者として私たちを導き下さい。アーメン

文:森 宗孝


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