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2024年1月26日 マタイの福音書7章

 マタイによる福音書7章は、5章から始まった山上の垂訓の締めくくりの章です。山上の垂訓は、「心の貧しいものは幸いです。」から始まる「至福の教え」から、この7章まで、クリスチャンとして祝福の人生を生きるための条件と、その結果としての祝福の現在と未来を約束するものです。


 この7章の中でも私自身、強く心に引かれたのは、13、14節の、「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そしてそこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」


 私たちの人生の中で、「狭い門」そしてそれに続く「狭い道」を選ぶか、「大きい門」それに続く「広い道」のどちらを選ぶかという決断をする時が来るものです。イエス様は、この選択は、生きるか死ぬか、永遠のいのちか永遠の滅びか、天の御国かこの世か、そのどちらを選ぶかという決断だといっておられます。


 多くの人々は、現在クリスチャンの人も含めて、みんな最初は「大きな門」に続く「広い道」を歩んでいたと思います。イエス様は「狭い門を見いだす人はまれだ」と言われたように、多くの人は神様に示される前までは、または誰かに教えてもらう前までは、この「狭い門」のことを知らないで、又は知っていても知らないふりをして、大きな門、そして広い道を歩んでいると思います。それは、多くの知り合いが歩いているから、簡単に魅かれやすいから、平素の生き方で楽に歩けるから、自分のやりたい放題で生きれるから、さらには、時には狭い門をくぐり、狭い道を歩む者はさげすまされたり、仲間外れにされたりするからです。


 しかし、イエス様はこの「大きい門」は、「広い道」に繋がっており、その行きつく先は「滅び」であると言われました。「滅び」とは、幸せを完全に失った状態が永遠に継続することです。


 しかしある時点で、人々はこの「狭い門」が示されるのです。イエス様は、その時点で、人々に「狭い門から入りなさい」と命令形で語られます。そこで人々は決断しなければなりません、自分は「狭い門」をくぐって歩むのか、それともこのまま広い道を今まで通り歩み続けるのかと。


 永遠の命に至るため、神の御国に入るために必要なのは正しい道に続く正しい門「狭い門」を選び、それをくぐり抜けることです。「狭い門」とは、イエス様の福音を聞いて、イエス様を救い主として信じることです。その門は、イエス様の言われる「いのち」、「永遠の命」に行き着く道へと続きます。


 しかしこの「狭い」という言葉は「うめく」という言葉に由来しているそうです。この「狭い門」をくぐることは、罪人であるわたしたちにはプレッシャーとして感じられます。イエス様は私たちを自分の罪と向い合せ、それを正直に認め、その悔い改めを迫られ、罪からの救いを神に求めるよう願われます。


 しかしこれはなんと幸いなことでしょう。この「狭き門」をくぐると決めた私たちのためには、イエス様ご自身がこの「狭き門」であり、永遠のいのちに至る門だからです。イエス様ご自身が言われました。「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。」(ヨハネ10:9)


 そして、「狭い門」に続く「狭い道」は、色々な制約や試練があって窮屈に感じるかもしれません。しかし「狭い門」をくぐり、新しく生まれ変わったクリスチャンにとっては、苦痛に感じるものではなく、かえって喜びと平安があります。それはイエス様が全ての重荷を背負ってくださるからです。そして、窮屈ではなく、かえって自由があります。「主の霊のあるところには自由がある」(第二コリント3:17)


 「狭き道」を歩みながらでも、分岐点に出会うことが多々にあります。しかしその度に、その決断を主に祈り願い求め、委ねていきたいと思います。


 愛する天のお父様、今日のみ言葉をありがとうございます。私たちに命に至る「狭い門」を見いださせてくださって感謝です。私たちも、現在広い道を歩んでいる私たちの隣人にも、この狭き門を見せてあげることが出来ますように。そしてそれに続く「狭き道」は窮屈な道ではなく喜びと平安に満ちた道であることを分かち合えるようお導き下さい。アーメン


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